宇田道隆先生 退官記念講演会

水産海洋研究41年の成果と将来の問題

昭和43年(1968年)3月1日 東京水産大学 水産科学談話会

大学卒論「光の散乱の数理的研究」やったので、黒潮のナゾをスペクトル分析からやりたいと願ったが、果たせなかった。演習で「大気の渦の研究」をやったが、大変面白く、東大□□□□□□藤原咲平先生と私共共著で出たが、これで学んだ方法を海の渦、シオメに適用することになった。

私は昭和2年3月、東大の物理を卒業して、田丸卓郎先生、寺田寅彦先生のお勧めで、深川にあった田内森三郎先生のおられた農林省水産講習所物理試験部に技手となって勤務してから、41年になります。その間の水産海洋研究白書をお目に掛けて、将来の問題を述べてみたいと存じます。

講義は、昭和2〜3年「数学」、昭和26年水大に戻ってから「気象」「漁場」「水産海洋学特論」を前後19年やりました。

1. 潮目の模型実験、実測調査

藤野さんに助けて頂いて、流れのconvergenceで潮目を生じ、物が集積する機構を示し、一方の流れが強くなると、潮目が移動することを実験的に証明した。昭和4年から海洋潮目の実態を観測調査し、「潮境」(海洋前線)に潮目の現れること、付近は海況変動が最も大きいことなど示した。

昭和14年「海洋潮目の研究」論文を東大に提出、Geophysical Magazineに出した。理博。その後も海洋前線及びこれに伴う渦流系(Eddy System)の研究を続けている。前線論とその応用の前線漁場論はその後発展して、世界海洋漁場論となった。(1)「潮目には魚が集まる。その渦流には特に集群濃密である。」(2)「渦流 (左旋 : 北半球、右旋 : 南半球) は湧昇生産をもたらし、渦流 (右旋 : 北半球、左旋 : 南半球) は沈降集積をもたらす」

2. 「釣針の焼入れ、焼戻し温度による最適抗張力」

漁具実験。日本水産学会誌所載。実験には海光社の林壽さんには大変お世話になった。

3. 「ブリ漁獲と低気圧の関係」

統計的研究をまとめ、昭和2年12月の水産講習所試験報告(23(3), 113-120, 1927)に載った。昭和3年1月10日の水産講習所始業式に「漁業と気象の関係」と題して、大勢の教官・学生の前で晴れの講演をさせられた。所長の岡村金太郎先生や主任の田内森三郎先生のお引き立てに感謝している。その準備に、暮から正月にかけて、ボーナスを懐に伊豆の長岡温泉に浸って、原稿をまとめた。「定置漁業界」(3, 14-33, 1928)という、生まれて初めての雑誌に出ている。ところが、自分が水産、漁業の実際を何も知らないのに気が付いた。全く「盲蛇におじず」とはこのことである。図書室でこれまでの文献をあさって、学問的なもの、三浦定之助さんの「定置漁業界」に書かれたもののほかは断片ばかり。漁業者を訪ねての「聞き取り調査」はこの頃始った。よくメモを取るというのが長年全国の漁業者に40年間聞いて回ったのが私の「漁場学」のバックグラウンドです。

私は24歳の若造で昭和4年1月水産技師になった。「一将功なって万骨枯る」と一句残して転任された三宅助教授のことは今も忘れられぬ。当時、余り若くて人の気持ちも何も分からなかった。

長い間には漁船にも乗り、操業の実際も見せて貰った。調査船に乗ってプランクトンを見たり、魚の体温を測ったり、O2, pHを測定したり、底質を採集したり、色々のことをやりました。しかし、私の漁場学、海洋学も物理学が基礎になっている。海の水温、塩分に興味を持ったのは「海洋調査要報」をもとに、県の水産試験場「漁業試験報告」など相当溜まった記録から、日本近海の平年海況特性の統計的調査研究を始めた。これは岡田武松先生の「気象学」の気候学的な方法を海洋の方へそのままapplyしたのである。

一方、カツオ、サンマ漁獲の適水温曲線を作り、ガウス確率曲線になること [数式 N=N0 略]   適水温帯と漁場の移動の関係を図示した。

こんなことすら、当時(昭和3〜5年)は初めてであった。私は農業気象、生物気象の手法 (桜の開花の移動やツバメの始来時の移動)を水産の方へ導入したのだった。

こうして観測調査向きと見られてか、昭和4年農林省水産試験場に移った。ここで仕事を任され、一本立ちになった。海上で腕を思うままに振るった。仕事には厳しかったが、春日信市場長に感謝している。「平年海洋図」で大変喜ばれた。昭和13年「漁海況通報」が始った。無線塔建設。この準備に10年かかった。又そのためにカツオ、サンマ、マグロ、イワシ、サバなど漁況と海況の関係に拍車がかかった。

「海洋学談話会」を起こした。月2回、木曜日の夜、2時間、月島の水試で開いて、会員は百数十人になった。学問一途に情熱を燃やした若い人が多かった。岡田光世、新野弘、相川広秋、稲葉、中野猿人、水路部の小倉先生、重松大佐など、常連であった。これが基で、昭和16年、日本海洋学会が誕生した。

いわゆる「漁場論」「漁況論」の時代であった。Availability, Exploitationを中心としていた。水講 岡田光世―海洋物理、新野弘。当時、木村喜之助さんは定置漁業での沿岸大急潮に懸命だった。中央気象台長の岡田武松先生には「宇田君は魚に隠れて海洋学をやっている」と言われたことがある。

一方、有用生物資源調査は丸川久俊、相川広秋などの方々が魚体長、体重、年齢組成など基礎的に進められ、水産資源学の基礎を作られた。

戦中、戦後8年間、私は海洋気象学に全力を注ぎ、Air-Sea Interaction 長崎では水産気象に力を入れ、次第に黒潮など海洋の研究に戻って来た。これは私の学問的幅を広げるのに大いに役立った。


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