宇田道隆先生 「東西の生活と幸福」

1966年2月20日 (日) 教会?での講演 (61歳のとき)

今日はどうした風の吹き廻しか、ここに立つようになりましたが、これも神様の導きだと思っております。東と西、生活と幸福観を私の乏しい経験・知識からの話、平凡な一学究の生活の話が何かにお役に立てば幸いです。

私は海の研究でメシを食って来た人間で、その方の話なら度々して来ましたが、今日のような題で私の人生観など話したことはかつてありません。従って、お聞き苦しいかも知れませんが、しばらくご静聴頂ければ幸いに存じます。

私は南国の土佐に生まれて、小中学生の時代を過ごし、高等学校は仙台に参りました。ソクラテスの「汝自身を知れ」は、白井成允先生から学んだ忘れられない言葉です。春の目覚め、人生とは何か?人並みの悩みを経験しました。学生時代はいろいろ本を読んで、ゲーテのFaustなどから「永遠なるもの」を求めて努力する者は救われると言った考えを持つようになりました。

とにかく大学を出て40年、仕事は海一筋にやって参りました。この間2回応召し、輸送船に乗って大陸にも、南方にも出征し、終戦は広島で原爆を体験、負傷致しました。もう10分遅ければ爆心で死んでいたはずでした。戦地で斃れず、原爆をも生き延びた私は運命というより天命を感じます。

一度は眼を患って、失明に近いところまで行きましたが、戦後長崎に行ってノンビリやっているうちに、いつの間にか恢復しました。こうしてやっと困難に屈せず、立ち上がれる有難さを感謝しました。

私の意志以上の力に動かされて、職場も水産講習所、水産試験場、神戸と長崎海洋気象台、東海区水産研究所、水大と転々としましたが、その各々の経験が今日の私を育ててくれました。

昭和33年から1年2か月、カナダ、米国で暮らし、欧州を回り、その頃から毎年国際会議で日本代表として外国を旅する機会を持つようになり、初めて日本と諸外国を比べて見るようになり、私の人生観、世界観も大変変わって参りました。世界の中の日本、小さくても一個の私は日本を代表するという気持を常に持つようになりました。東洋・日本の美に憧れる人々、文化交流、自らの良き伝統を受け継ぎ、守ることの尊さ。私は宇宙船に乗って青い地球を眺めた人の気持ちを知りたい。

こうして60年を超える過去の生活体験から色々の有為変転の波を越えて来て、現在の時点で持つ私の考えを申し述べてみたいと思います。「余は塞翁が馬」と申します。「明日のことを思い煩うな。一日の苦労は一日にて足れり」という聖句があります。東洋には禅で「日々是好日」と言います。現在を正しく精一杯生き抜き、自ら新しい運命の明けて来ることを待望する気持ちになりました。思うに任せぬことがあっても、あせらず、時の解決に、神の御手に委ねる心境になりました。

私は南国土佐で生まれまして、家が神道で、幼いときから漢詩人だった父から儒学の影響を強く受けました。「敬天愛人」という西郷隆盛の言葉が学生時分から大好きでした。

「則天去私」に辿り着いた夏目漱石の文に強く引き付けられました。今では「天」が「神」の大摂理であり、東西に相通ずる真理と受け取るようになりました。

大学時代から私の先生は漱石門下の文学者・科学者である寺田寅彦先生(ペンネームは吉村冬彦)でした。寺田先生は本当に自然を愛し、心の優しい御方でした。漱石の「吾輩は猫である」に出て来る水島寒月、「三四郎」に出て来る理学生の野々宮さんは若き日の寺田先生をモデルにしたものです。すばらしい天才であった先生が、ちっとも心奢ることなく、進んで名を求めようとされず、いつも思いやりの深い、相手の身になって考える先生でした。

寺田先生は自然Natureを愛し、自然を見る目を私たちに与えて下さいました。私が地球科学の海の学問に身を入れる縁もそこから生まれました。

毎年私ども、今でも先生のお誕生日(11月29日)に寅彦会に参集して昔を偲びますが、もはや歳取った一同に、本当に懐かしい先生のイメージを新たにする元になっています。良き師、好き友に恵まれたことは、全く人生の幸福です。

Sympathy共に憂ひる、自然に発する同情、それはまことに美しいものです。考えて見ると、「東洋の仁愛」は、やはり孔子さまの説かれた道徳の第一と存じます。「仁」という字は、「人二人」です。常に相手の身になって考えること、仁にお互いに徹し得れば、世の中に争いもなく平和に過ごされるのでしょう。キリスト教を背景とする西洋文明国の高い公衆道徳も、君子国と言われた東洋の仁の一つの社会的応用と通じるものがあり、日本人に昔から受け入れ得るもとがあったはずです。古き良き時代の日本でも封建的な従属思想がもとで、家庭でも嫁・姑の問題、親子の問題でも仁を忘れて、思い過ぎ、言い過ぎ、わがまま、我を張る、譲り合えば納まるものを難しくコジレル場合が多いのでしょう。お互いに過ち多い、至らぬ小さい者というへり下った気持ちがあれば。

私は戦時応召中、眼を悪くして、仏典に親しみ、座禅を組んで仏教に親しみました。

「色不易空、空不易色、色即是空、空即是色」という聖句が最も気に入りました。

色(現象界)が空(真理の本体)と一にして二ならずと喝破されたところで、胸のつかえが取れた気持がしました。

空は充実した宇宙の白色、色はスペクトルの万華鏡、そのレンズがわが心、鈴木大拙博士は「空」を無限の創造性、可能性を持つものとされた。「ケオス」である。=「不易流行」=温故知新。原罪は生活の欲望に結びついた闘争、自己拡大、最も生々しい人間的なものに結びついています。十字架・復活を通して神と結びつくのは、払い清める神道に通じます。

「五蘊皆空」と悟れば、宇宙の一分子の自己の永遠性を確信する気持ちになりました。

バイブルにも「身体は日々破れても心は日に新たなり」とあります。観世音菩薩、阿弥陀菩薩の誓願は世を救い人を救う大慈大悲の慈悲にあり、慈悲こそ大いなる仁愛に通ずる根本と知りました。まことに「盲亀浮木」(注: 出会うことが非常に難しいことのたとえ。また、めったにない幸運に巡り合うことのたとえ。) の思いとはこのことです。「諸行無常」、「すべては流る」という。だがこの一瞬一瞬は真実であるし、限りなく貴い。この一瞬の積算が
1日=8万6千4百秒。365日。
 私は海外を回るうちに、東洋人・日本人と西洋人とが何か違った異質のもののような先入観を打ち破ることが出来ました。私の尊敬する優れた学者が仁徳においても優れ、その裏打ちをなしておるバックボーンがキリスト教にあることを心底から認識するようになりました。私は帰国後、強くバイブルに、キリスト教に引き入れられました。改めてバイブルは全く新鮮な一句一句の教えでした。神の愛、アガペーの愛、友のために生命を捨てる愛、その愛を十字架の血で実践したキリスト。この力強い愛を信じることは大慈大悲の観音経に親しんだ私にはすぐに出来ました。聖書は頭で読むものでなく、心で、魂で読む書であることが漸く判ってきました。数々の過ちを経て来て、悩み苦しみを通して読むとき、バイブルは最も大きな光明を与えてくれるようになりました。私の心中にはもはや科学と何の矛盾も感じません。長い長い歳月の間に経て生まれた結晶の真理の輝きに接して、「朝に道を聞けば夕に死すとも可なり」という以上に永遠の生命に触れる喜びを感じるのです。「アラー」を礼拝する回教国の人々、断食の風習、私もエジプトやパキスタンをみて神を畏れる人々の姿を見ました。「祈り」黙想して偉大なるあるものに対面する。その心に習おうとする。それが宗教でしょう。

さて生活の中の幸福というのは何でしょう?次に私の狭い見聞の幾つかの例を挙げます。

ある人A氏は一生忠実なサラリーマンで勤めて、退職金で家族のため立派な家を建てることを最大の念願としていました。やがてその家が出来上がると、間もなくその人は死にました。数年のうちに残された家族はその家を売って、引っ越して行きました。

またその立派な家を買ったB氏はある会社の社長でしたが、親子二代倹約を重ねて財産を作った人ですが、子供たちが大きくなり、大学も出た跡取り息子がいつの間に親に隠れて脱線して、不良と付き合い大穴を開け、すっかりその家をメチャメチャにして失望、落胆させてしまいました。

ある人C氏は若い時貧乏で苦労して、夫婦内輪だけの結婚式を挙げて、やがて30年後に成功し、社会的にも高い地位を得ました。娘たちも成人したのですが、金持ちの家に嫁いだ娘が一番苦労し、その金はちっとも自由にならぬ境遇で可哀想な結果をみました。

こうしてみると、A, B, C氏ともに金・物中心でやった場合、長い目でみると幸福が得られたとは思われないのです。金を求めた報いが仕返しを受ける金でした。

D夫人は、C夫の亡き後、苦労して男の子3人を皆最高学府に学ばしめたが、やがて結婚した長男と住み、嫁いじめをして、子供の皆から背かれた。才智・勉強のみ功利的に教えて育った子供に欠けていたのは愛の教えであった。

仏教で因果応報というが、種蒔くとき、一粒の麦、地に落ちて死ねば、その犠牲により新たな芽が出ます。善因善果、悪因悪果、年久しうしてこれに思い当たるのです。

只今の私は真に「生かされておる」わが身を感謝する日々であります。大きな御手に委ねられた日々のわが身です。考えてみますと、これは特殊な私一個の問題でない。日々眠るとき日々死し、また目覚めるとき日々新たにされている。食べておる食が自分の体を養ってくれている。戦後の食糧難のことを思えば、誠に夢のよう。カボチャの花を酢の物にして作ったり、芋の茎を食い、私の身体も自分のもののようで自分のものでない。自分は一人で世の中に出て来たものでない。

結婚について。私どもは平凡な見合い結婚です。友人の妹で、おやじ同士が友達です。昭和6年に結婚し、35年経ちました。「妻を娶らば才長けて、みめ麗しく情けある…」と歌にいう通り、多くの男性の理想に描くところでしよう。揃うのに越したことはありません。みめ麗しくは容貌だけど、健康は大切な要素です。健康診断書交換。グラマーの好きな人もあります。可愛い感じのトランジスター型を好む人、美人の好みも色々あります。

私はここに「心の美しさ」を問題にしたい。美人も朝から晩まで見ておれば飽いて来るでしょう。「心」の美、「心」heartのよい人、単なる教養美とは違う、優しい愛情、こまやかな思いやり、やすらぎ、くつろげる人…。

才気煥発もよいでしょう。長持ちのする女性こそ家庭的な婦人です。連れ添って家の繁栄する女性というのがあります。

寺田先生の言葉「どこか良い所がある。その良い所を見つける」人を捨てない。人を活かす。物を活かす。

男性飼育法…何事も気長く時を重ねねばならない。女性側でも、頼もしい頼りがいのある男性、一生苦楽を共にするに値する男。若い時には一方に見栄えのしない男、金もない、顔も良くない、甚だスマートさがない田舎者丸だしの男、それが数十年後には全く見違える貫禄を持った男性的、魅力なる人、誠実なウソのない人、高いものを見つめて絶えず努力する人。一方では若い時美貌で、華やかなお金持ちの坊ちゃん、自動車持って、ダンスも出来て、…。さて、一緒になってみると、意外にヤキモチヤキだったり、浮気者の遊び人だったり、…。そのうち何かのガタで内は空ッポの人間を見分けることが大切なように思う。

東大出の英語の先生が4年間に3人も妻を取換えて、挙句の果てに別れ話に怒って家裁で妻と母を刺し殺したという。結婚する相手の学歴だけで判断することの如何に当てにならぬかを示している。

人間として落第の人が代議士や大臣になって買収・汚職などやり、信用を落とし、世を毒している。ニセ者が多い世の中である。

男性女性がかねて探し求めていたbetter half とお互いに認め合い敬愛して「神の合わせたもうものなり」と、不思議な因縁に感謝すると、時空四次元空間での軌跡の交わり。

私は旅行が好きです。「可愛い子には旅をさせよ」と申します。芭蕉の言葉「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」。東西を巡る長い旅に、私は「宮本武蔵」の心境をいつも思いました。「わが事において悔いず」、欧米10か国を自ら全力をふるって生きて、ひとり行く日々の14か月でした。そこに旅人をねんごろにもてなす人の情を時に強く感じました。

しかし、何といっても安住の地、真にくつろげるのは我が家でした。やはり我が生まれた日本が自分の最も良い国である。また日本を良い国にしなければならないのは私達である。日本を良くするために働かねばならない。

真の幸福とは何か。生き甲斐とは何か。他を愛し得るか? 人生の苦難に屈せぬ生活。

自分はあくまでも誠実に生き通したい。たとえ人に裏切られようと、自分は決して人を裏切らない。心忠実なるものとして、天上の星に心をつなぐものとなろう。

本日、ここに来てお話することは、私には単なる偶然とは思えません。神様の深いお計らいによるものと考えます。又、こうして集まって来られた方々との出会いは私の一生で全く予想もしなかったことです。しかも私がこれまでの生涯を通して得た何物かを語ろうとすること、「一期一会」という言葉がある。

「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。」(ヨハネ福音書12章24節)

この大戦争で、わが子をわが夫を失った人が一変した世に「犬死」のように考える。だがこれは新しく独立した国々を生み、新しい時代を生むために献げられた尊い「生命の麦の粒」だったと考えたいのです。

七転び八起き、波風を凌いで、神の御手に生かされてある限り、今や私はどんな苦難にももはや負けない不屈の魂、どんなどん底にたとえ踏みにじられ、蹴り落とされても、そこから立ち直り、這い上がる強靭な魂を持つ。一歩一歩谷間から山の頂きまで、生ある限り登り続ける。


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