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今日は学園祭という目出たい日に東京から駆けつけて来た。皆さんはアリヤ一体何だろう、何をシャベローとするんだろう、と思っているだろう。私もその昔に経験がある。少し学生時代の話をさして頂きます。
私は35年ぐらい昔に、この学校の前身の高知一中の校庭で走り回っていた小ボーズでした。時計台下のここへ来ると、昔のことがしきりに思い出される。「数万のいらか見下ろして 天そそり立つ高坂の 御成の高さ競いつつ 雄々しく立てり時計台…」
私、大正6年〜10年、中学生だった。当時の一中といえば、県下の最上級学校で、みんなプライドに満ち、黒のハカマをつけ、麻のキモノ着て、高ゲタはいて、肩で風を切って大路を闊歩した。世の中は太平を謳歌し、日本は一等国で旭日隆々、平凡な学生生活ながら、よい師、よい友に恵まれて育った。随分、はたから見たら生意気で、稚気満々、ただ駆け回って、ホタエ(注 つけあがる)ていた。まあ、漱石の「坊ちゃん」に出て来る中学生、大学生は「三四郎」みたいと思えば間違いない。マンヂウ、ウドン、シルコぐらいが贅沢のご馳走で、映画といえば始ったばかり連鎖劇なんてやって、ロクに見ることもなく、今時のように目移りする刺戟物は余りなかった。太陽族とはほど遠く、トントとかエスとか騒ぐのが関の山だった。先生や友達にやたらにシコナ、アダナを付けた。これは親近感を表した愛称で、校長をオトウと言った。オトウサンの意味だ。画の先生は、私の大学で物理を習った寺田寅彦先生も習った大先生だが、ライサンと尊称した。語源はライオンに似ているという説と、見事なおつむがライジングサン、登る朝日に似た輝きを持つ。この先生が講義中に「お前らの時分に、朝タタンようじゃいかん」と言われたことが耳に残っておる。ハイスベールを詰めて、ハイスと名付けられた先生も居た。そういう今の僕は、正しくカッパみたいなハゲ頭ですが。偉大な体躯でみんなから大変尊敬されていた数学の先生にラヂカル先生が居た。国語にニセチン先生も居た。変なシコナを付けられた先生も、どうかワンパクどもを叱らないで下さい。
クラス会で集まると、皆アダ名を言って、懐かしがって喜ぶ。私自身は「小ワニ」と呼ばれた。兄貴が上級生で、水泳が上手で、よくパクつくので、ワニと言われた。その弟だから。スパロー(雀)という意味でスパと名の付いた級友の宇田耕一君は、今大会社の社長で代議士やっている。赤猫と呼んだ一緒にホタエタ金子武蔵は今東大の教授で文学博士、カント哲学やヤスパースの実存理性哲学を講義して有名だ。こんな話していたら、いつまでも切りはない。自己成長脱皮、十の神童□□の人、私の中学時代で思い出深いのは水泳の仲間です。一中は当時全校水泳必須、皆泳だった。金ヅチは一中の卒業生に一人もいない。浦土湾一周5浬の遠泳が水泳の卒業試験で、途中に飲ませてくれたアメ湯の味は忘れられん。エンコークラブ、本当の名は江涯(えのはて)クラブ。夏は朝から晩まで鏡川原でセンゴーを乾していたカッパの集まりでした。前の代議士の浜田幸雄さんあたりがリーダーで、一番若い小さい組に、今マンガの御大の横山隆一君など、とても可愛い少年で、バシャバシャやっていた。われらの大先輩である海援隊長坂本竜馬は雨がザンザン降っている最中に、平気で高野へ泳ぎに行った。「ドーセ濡れるキニ、おんなじぢゃないか」、と言ったという。そんなことをシャベって暮らした。エンコー連がフンドシ一つで、「ドリヤこれから一つ」とワシヲ山へ登って、山上で腹いっぱい大声出して、ウソブイたり、櫓舟漕いで浦戸湾を渡って、□崎や桂浜の月夜の晩、円陣を作って「ヂンヂロゲ ヂンヂロゲ」と土人の唄を唄いながら踊った事も思い出される。その頃の私は海洋学など考えもせず、水中メガネかけて、金突で潜って、魚突いたり、貝を取ったりして楽しんだ。
高い山に憧れる気持ちは確かにあった。科学的なことも、よい先輩がいて、皆このエンコーだが、教えてくれて、山登りしてシダの植物標本を作ったり、金ヅチ一本腰へ挿して、鉱物や化石を集めて廻ったり、領石、佐川安芸とか鳥巣石灰岩とか、今でも私の地質鉱物学はその当時の知識が基礎となっている。兄と私の集めた標本は、後に一中へ自分で荷車曳いて寄贈した記憶がある。
仲のよい4人でナベを腰にブラサゲ、無銭旅行やった。横倉山の上で、安徳天皇を偲ぶ一夜は、ちょっと膽だめしに行ったのがユスハラ(檮原)から県境の石鎚山に近い大野ケ原へ行った。小松ヶ池の仙人に会いに行ったのだ。大蛇が棲むとか言う大鍾乳洞を探検して来た。そんな元気な昔が懐かしい。
自然への開眼。中学生、高校生ぐらいの友達が一番気が置けない心の友になれるようだ。諸君も精々よい友垣を作って下さい。
私はテニスでも野球、何でもスポーツの下手の横好きで、とにかくランニングだけは中学から始り、高校、大学で選手の生活を続けた。別に大して速くないが、心臓が割合丈夫で、ガンバリが効くので、マラソンから始り、中距離をやった。もう今はデブで走れやしない。しかし、このスポーツの鍛錬が、私には海洋観測をやるのに役に立った。兵隊に現役からこの戦争に二回応召して務めたのも因縁だ。とうとう満州からスマトラの山奥まで駈け廻った。
子供の時から本を読むのが好きだった。忍術本や真田幸村、後藤又兵衛など、講談本をやたらに読んだ。中学時代は図書館にセッセと通った。一中の図書室で押川春浪冒険ものを読んだが、4年生のとき、東洋学芸雑誌というのに、桑木博士がアインシュタインの相対性原理の解説をしてあるのを見つけた。世界でこの難解な学説の分かる者は何人もおらんとあった。私は早速同級の数学に自信のある腕白連を集めて、今で言う討論会、ゼミナールをやったが、テンデ チンプンカンプンである。しかし、私は何とか上級の学校へ行って、この原理を分かるようになりたいと、身の程知らずの大望を起こした。ちょうど2年前に母校の講堂に寺田寅彦先生が現れて、物理の面白さを少年たちに手ほどきして下さったのが、もともと導火線になっている。元来、私は小学6年のとき、浦戸湾へ砲艦の見学に行って、当時のハヤリで、海軍軍人を志望して、中学4年ごろまでその覚悟にいて、海軍兵学校の受験準備を始めていた。だが、だんだん中学4年ごろから、軍人が将来自分の適した方向かに疑問を持ちだした。アドミラルの夢は土佐を出て消えた。物理学の方に魅力を感じて来た。中学生くらいになると、大ぶん皆特色を発揮する。その頃人の居ない講堂で大声で歌っていた少年が、後年の流行歌手の楠木繁夫君になったりした。
私はとうとう高等学校を受けて、理科へ入った。学資の問題で海兵に決めていたのが、育英奨学金を頂いて解決した。仙台でアインシュタインの講演を聴いたのが、私の志望を物理に決定してしまった。大学へ行って、勃興したばかりの量子論に興味を持った。相対性原理はもう完成されてしまっていた。しかし、恩師の寺田先生は私の適性を見抜いて、地球物理の方へ私の頭を向けて下さった。これは本当に有難いことだった。
それから自然と取り組む一生が私に始った。湯川さんのような立派な天才学者が出て、ノーベル賞を受ける世界的な発見をしたが、あれ以来、大変秀才が物理に集まって、しかも理論物理はもう満員で、就職口も碌にないほど。一方、地味な実験物理をやる学生が少なくて、教授は弱っていると聞いておる。やはり向き向きがあり、数学でも、ガウス、アーベル、ガロアのような天才は、世界中でも何百年に一人ぐらいしか現れぬ大天才だ。各人がそれぞれ適した職場で腕を振るい、その職場でなくてはならぬ第一人者になることが、世界文化の全体から望ましいと思う。
土佐から出た学者で、私の知る狭い範囲でも、牧野富太郎先生など申すまでもない96歳の今日まで、植物学一途に努められ、植物学になりきっておられる。田中茂穂先生や高知大学の蒲原稔治教授など、魚類学になりきっておられる。寺田寅彦先生は随筆や文学方向と理学と両刀使いのように思われる方もあるかも知らんが、先生自らは物理、森羅万象、万華鏡の物理の研究を論文の形にしたり、随筆の形で表現されたのだ。横山隆ちゃんはマンガになり切っている。私は「海」でこれからも一生暮らすつもりです。
よい師を持つこと、よい友を持つことは本当に一生の幸いです。
土佐には思想家も数多い。南学の昔に始り、中江兆民の民権論、板垣退助の自由民権論、幸徳秋水の人民解放失敗、諸君の中からも、板垣退助、浜口雄幸のような大政治家や大実業家、また芸術家、学者、狭い日本を出て海外へ大発展する人も出るだろう。十年一期で、今後10年に□を終え、20年独り立ちして活躍しよう。
夢が欲しい。”Boys be Ambitious” クラーク先生のように叫びたい。志を立てることが事をなす第一歩。
理想が欲しい。僕は昔中学3年生のとき、世界政府、言語も一つ、国境のない世界一国。オトウに夢を述べて□□不穏思想と戒められた。
若い時は突拍子もないことを考える若さ、情熱が必要。実行力。世界を相手に昔と違う。海中音波ソーファー。明神礁の爆発もアメリカで直ぐ分る。電波で、飛行機で、世界は狭くなった。南米もよい。南極もよい。
夢多き時代の皆さん。みんな気宇を広大にして、大いによい夢を描くが良い。また平凡人として楽しい一生を送ろうと考える人も結構だ。娘さんがよい結婚して、よい妻、母になることを考えられるのも堅実な夢である。より良き生活、より良き世界を皆目指している。
何でも若い時に勉強するが良い。語学でも殊に会話となると、若い時に習得が何よりだ。英語だけでなく、ロシヤ語やシナ語(中国語)やスペイン語、フランス語、ドイツ語など、それぞれマスターすれば、その道で大いに役立つ人となる。
幸福とは一体何か? 物質的・経済的充足、金が欲しい。金が充分になると、名誉が欲しい。権力が欲しい。政治を道楽に金を注ぎ込もうと言う。しかし、好きなことをするのに学問もその一つ。みんなめいめい勝手に違った幸福の夢を描く。
昨日、車中で、ハワイから来た女の先生のお話が出ていた。日本に来て一番感じるのは、「金がなくても楽しい人生が得られる。」日本の先生方は少ない金で非常に人生をエンジョイしているということ。日本の私ども先生やっていて月給が少な過ぎて困り、コボしている。エンジョイするのに、マネー足りません。しかし、これは確かにまた日本の、いや東洋流のよい面を見ている言葉です。ビンボー(貧乏)しても、朝顔を作り、菊を作り、好きな本を読んで楽しむことを知っているのは、我々日本人です。精神的充足、学者はだから貧乏でよいと言われるのは反対だが、学者は大概余り裕福でないのが普通だが、皆好きな学問する心の喜びをもつ。それでよい人は学問をやってよい。金儲けしようとすれば、学問するより実業がよい。発明家や学者は自分は儲けず、儲けさす方で、実業家がこれらの変わり者を利用して儲けている。
学問に成功するのは、才能もあるが、学問に対する勉強と努力というが、passion 情熱。寺田先生がよく言われた、「自分のような者でも、やれば何かやれる」「∫(積分)」私はこれを守って、学者のハシクレでやって来た。
ワカッタこととワカラヌことの区別をはっきりさせる。
学問の未知の領域を広げて行くこと□□□
数学など、ワカルと面白くなる。面白くなると先へ進む。ワカリの良い人、早い人、ワカリの悪い人、遅い人ある。人より時間かけても、分かって行けば同じこと。鈍才、悲観に当らず、鈍でも学問進む。
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