|
|
宇田道隆 昭和5年(1930年) 日記 農林省水産試験場 技師 (24-25歳) 1月1日(水) [ローマ字書き] 1930年の朝日はさっと踊りこむ。処は名古屋の町はずれの兄の家。明るい2階である。お屠蘇、雑煮、酒、種々のもてなし。兄は早く会礼に。僕は10:52名古屋駅を発って、高知へ向かった。汽車で岐阜68i の兵隊さんと軍隊の四方山話をする。誉(注: 煙草の銘柄)を2貰ったから、みかんやコーヒー、栗ようかんをご馳走する。午後5時、神戸に着く。元町ブラ。子供が爆竹を鳴らしている。花火がセメントの上を走る。まるで敵彈戦のようだ。Uniteレストランでdinner, chicken rice. Stranger がwaitress と戯れ、片言、Good night Harumoyoi 8h20m 3rd class man として on Urado Maru. 蝋梅の 花細々と 春の朝 白梅もこれが南の古家には初春のまさきに咲き匂ひ居り 1月2日(木) [ローマ字書き] 6h30m過ぎ夜が明ける。いい凪ぎだった。桂浜、浦戸、懐かしい。山々、島々。7時過ぎ太陽が躍り出る。波が輝く、この一時。はらみがセメントで汚れ、筆山が木々まばらのはげ山になってるのを見たときは寂しかった。8時上に登る。9時お祖母さん、伯母さんを驚かす。雑煮、酒(菊水)、Jumoru Atanasi に過ぎ行き、時間。湯に入る。雨がしとど。□risikiru 電車で堀留 へ、絵葉書。夜、山本Masamuの相手して、酒、数の子、刺身、竹輪、黒豆、…。床へ行ってから伯母さんと暫く湯を飲みながら結婚の話し。 1月3日(金) [ローマ字書き] お祖父さん、お母さん、Kussanの墓参り。 菊の香も 紅椿の色も 花供養 宇田kotorasan所へ行き、瓦煎餅を土産に1円花代に。「隆! 座りは付いたか?」お祖母さんが問う。サバのたたきを酒の肴に、しっとりと舌に沁み入る懐かしい味。「今朝の爺のTibasiriは」ちょっと暗い気持ち。椎の焼き立てを噛みしめる。 木の果はむ 春の宵の 静かなる 1月6日(月) 晴れ切った南国の美しい青空。朝は珍しい程厚い氷が張っていた。消防の出初式が柳原である。それを見がてら磧を叔母さんと歩む。凧が上がる。梅の香がする。筆山の影は濃やかに児の笑は和やかである。(中略) 午後4時室戸丸で出帆。ひどい混雑で、見送りに来てくれた叔父母の顔さへ分からなかった。寝苦しい汚濁した三等船室の夜は更ける。お□から□水道にかけて揺れがひどく、(以下略) 1月7日(火) 小闇き内に神戸に着いた。4:28京都行きの列車に乗る。梅田より50銭タクシー、塀を乗り越へて島崎叔父さんの宅に入る。夜が明けるまで□□の見えぬ寒さにふるへる。 伊太利小学教育の天才教育の話、出来ぬ児の所へ先生が出来る迄家庭教育に行く。(以下略) 1月8日(水) [ローマ字書き] 朝大阪を発って、名古屋へ。伯父、5円賜る。伯父のお土産にネクタイ、パイプ、カフスボタン。 名古屋へ晩着く。兄の家へ。夜、内田君来て話する。(以下略) 1月9日(木) [ローマ字書き] 11:19急行で東京へ。土佐の早稲田大学生入り混じり、Kunと時事を語る。面白く、□□旅する。 冨士が見える。浜松あたり。夜6:40着く。親父の宿へ。夕食前、体重16貫、大変肥へた。 1月10日(金) [ローマ字書き] 明日、高松宮がおい出るとて、役所は大騒ぎ。僕はのほほん。役人いやなもの、人間になれ! 1月11日(土) 高松宮御成。僕もモーニングで。海洋調査器具、プランクトン検鏡、調査成績、ブリ放流図、大漁・不漁と海況との関係、底棲生物アルバム、陳列室。「このプランクトンは何にもならないかね」 お付きの鶴見氏が「東北地方の飢餓と海況との関係につきご説明申し上げよ」と言うと、丸川氏は与太を飛ばし、海霧が主に稲作を支配するやうな事をいふ。終わって養殖へ。それから物理機械を経て、造船漁撈へ。12時講習所で昼飯食べて、お帰り。 1時より水産物理談話会、会する者甚だ多し。日暮、寺尾氏あり。アユ稚魚のふ化発育に及ぼす海水比重の影響とアユの飼育のこと。梶山氏の研究攻撃多し。アジの真空乾燥品消化比較試験。(以下略) 1月12日(日) 初雪? 降りしける雪、窓に白し。心ぬぐふ如く白し。 毒飲みて死せんも可ならむ。マントにくるみて海洋の本を見、11時宿を出て□町、□□町辺りの家探し。(中略) 3時より再び家探し。本検事なる岡本武雄を訪る。漫談、菊池八郎あり。総選挙で追々忙しとなー。岡本と携へて、この辺家探し。中々適当のものなし。一畳2年1.8円。 美濃部亮吉(農業大講師)を訪。紅茶をすすりて座を起ち、帰れば5時半。松生氏に手紙書きて、後勉学。 1月15日(水) 相模湾の調査整理に掛っている。研究する程色々の事にぶつかる。水産生物研究会に出てみた。岡村所長が海藻の生きたのから出るJodvolatationを紹介した。寺尾新さんはハンザキの如き両生類の肺の発達を話した。坂本君は星鮫のscaleの研究を語った。鮫のabnormalなのに雌雄同体がある。(中略) 海の秘密館の事を丸川さんは話していた。田内さん、原始産業としての漁業が科学化(経験の集約)されるべきを我々の務めとすると抱負を述べている。 4月の主任官会議に備へるべく、色々考へてみた。事務的準備は3月に入ってからでも良いが、これに発表すべき成績(在来の取り纏め及びブリ調査の成績)は早く成果を収めねばならない。 一つ事に対する具体案を作ろう。これは”Permanent Exploration de la mer”を見てから気が付いた。渡り鳥の群れが夕暮れの空を北東指して群れて飛ぶ。大きなblockの暫く後から小さなblock二つ。□□の差によるscattering? 12時迄勉強した。今日は大変頭脳明晰。 鳥わたる 夕ぐれ寒き 炊ぎ煙 1月18日(土) 水産海洋雑誌会をやる。岡田さんcontinent and ocean のnature所載のpaper紹介する。極から見てcontinent & oceanが南北両半球対照的であること、これがWegener’s theoryと密接な関係のあるであろうといふsaggestion。僕はRapportの22□議について感想。 宮さんは125円の弁当が正式にあるといふ。一体何を食ふのか? 夜、父と神楽坂を散歩。夜店で「蟹工船」と江戸川乱歩集を買って読む。 1月22日(水) 吉村信吉氏宅に”Int. Nat.Rev.Hydrobiologie”を返しに行く。 1月24日(金) 月報に昨夜来忙しい。昨夜2時迄起きた。 春日場長に招かれ、高等官14名、麻布□町130に参集。(以下略) 1月25日(土) 春一碧 絵凧の上る 春日和 太平洋調査委員会、学士院にて野満氏、球形虫軟泥のX線研究を聞く。(7°Nの深海底)細い□□輪形のspotをscreen上に印す。大粒のはスペクトルを作る。これを貝殻の真珠□□CO3Caのfine crystal のDefractionによるとなした。かくして貝殻の崩壊過程に基づくX線的差異ありとせば、軟泥の年齢が分かるだろうと推論された。寺田先生は西川正治、田中正造氏が既に久しく真珠のX線研究をなし、人工天然の鑑別に努められていることを語り、EledrodeをCuにすれば長波を得られ、研究に便ならん事を語られた。五島氏は殻層のでき方を説明され、はじめは真珠層だが、それが貝殻層に□や変ると言はる。 不忍池の埋立道を渡り、大学に行き、図書を覗いて帰る。 1月28日(火) 今年はノリが大不作であるといふ。カキは良かったといふに。ブリは北陸は不況裡に早くも終漁。太平洋側も一向に獲れない。マグロは潮流のせいか、房総沖に現れる。それは著しく不味であるといふ。東京へは今、南方のマグロが来ている。カツオは本年比較的好況であった。ムロアジも良かった。イワシは今北陸方面では盛んに獲れてをる。相模灘でマイワシが獲れ出すと、ブリが追っかけて来るといふが、まだ獲れぬ。イカも良くない。ソウダガツオは存外獲れる。 帰りに不動様に参る。 1月31日(金) 西風 晴れ 日高氏から十周年「海と空」記念号に投稿を望まれて来た。日本近海の光学性とでも題して出したらと思ふ。単なるgeographer的見方には僕は最早甘んじられない。 2月3日(月) 底流や中層流を測定する方法を教へてくれと福井県から来た。Ekman-Merz Current Meter, Drift bottle の他の妙案もがな。 2月6日(木)大雪 水試研究会に海洋図とそれより推定せる日本近海海流を講演。場長は今後の海洋調査はこういうやうに進めねばいかぬ。別に一巻つくり、出すと大いに喜ぶ。 足痛み、熱高し。帰りて測る。40.3℃、高須医師を呼ぶ。 2月7日(金) 左ひじ珍しく化膿せる。関節炎となる。 2月24日(月) 白山病院入院。第三回目手術。 3月6日(木) 遠き家の ラヂオきこえて 冴え返る 暖かや 陰のやつでに 日のかかる 3月7日(金) 竹売りや 花うり行きて 日はくれる 陽炎も 互いにたたむ 春日かな 3月8日(土) 氷破る 音絶え絶えに 夜の床 薔薇の花を 頭にまきし 女あり 3月18日(火) 氷嚢4個つけ、2時間おき冷やす。 3月24日(月) 退院。 杖つきて 春庭に出づ 病み上り 椿花 咲きたる下に 生き返る 春の陽も 久しがりしよ のうのうと 光を吸へり 萎れ草 3月27日(木) “Depth of Ocean”を読む。 岡本氏、三善君の後任として渡辺信雄君を見つけ来る。物理校出身。 3月28日(金) 三国史上下読み、更に支那太古架□のくだりを読む。 3月29日(土) 桜、急なる暖気を受け、悉く開く。 赤十字病院にて宗文江博士の診察を受く。薬代安きに驚く。 伊東地震、断層と海流。海水平素と異なる。冬の高温とブリ不漁と、この地震、三位一体。 3月31日(月) 冷たし。10度前後。役所に11時過ぎ出勤。挨拶巡り。2時半退庁。 4月1日(火) 山下君に相模湾の3月分を印刷さす。 本日、気温急降、伊豆天城に雪降ると。 資源局の役人、参観に来る。説明す。この部屋は実によく整理されていると。 Defant “Dynamische Ozeanographie”精読に決めた。近来の名著である。快心事である。 夜、岡田光世君来。水産物理会の幹事留任を頼まる。 丸川氏、JOBKに魚の話放送の□□□ 4月2日(水) 寒い、寒い、北風ヒュー、ヒュー 渡辺信雄君辞令出る。70円。紹介に連れまわる。 累年最高・最低水温・比重を書き出すことを頼む。 「漁村夜話」”Umi no Buturigaku”「海洋観測心得」を貸与し、教育せんとす。 底流調査の件、立案。相模湾調査に出る藤田、本田二君に、大体の方針を示す。 今朝、離合社Nansenの採水器二つ持って来た。 4月4日(金) 航空(研究所)で寺田先生にお目にかかった。意外な所に意外な掘り出し物があるから、注意するやうに。 4月11日(金) イワシ工船の村井捨吉氏来。朝鮮へ出漁の由。 東京湾、本年の30年来のノリ大不作は昨秋の日照量の□□陰湿の天候に妨げられ、他、本年に入り著しき高温のためヒビ育たざると。 4月12日(土)雨天 日本近海海流図を作る。朝鮮水産会の人々を案内して説明。 水産物理会、長□氏サケ漁を語る。サケ、ボラのはね方、トビウオの飛び方の物理的研究。 4月13日(日)冷 12℃ Current Measurementのpaper読んで、一日暮れた。 4月14日(月) 今年はイワシの豊年、北海道ニシンからだめ。 5月の海洋図作り、透明度・水色の四季海洋図作る。 4月16日(水) 貴族院公正会員27名、参観に来る。僕の覗き見たうち、マスの子の飼育実況、カキの垂下式で連なった累々さ。ウナギの白子の成長ぶり。スッポンのお多福病、ウナギのイカリムシ病、コイのドロカブリ病。サバの放流図、カニの放流図。珍しく見た。 サバ暖かくなると北に、冷たくなると南に、対馬水道越冬、朝鮮東岸と日本海沿岸と続く。 4月17日(木) 初カツオ、八丈・御蔵・三宅付近で、焼津へ38杯の船。勝浦、船形数杯。二三日前、房州七浦、初漁の報あり。 4月19日(土) イワシ本年大漁。ブリの三日到来、大南風と共に、南流に乗って来たらしく、相模、毎日千以上の漁獲ありと。本年未曾有の不漁。数万円の程度も、これで助かるか、否か。 水講研究発表会。ニシン、北海道甚だ不漁なりと。最も留萌辺りは漁ありと。小樽近海不漁甚だし。 4月21日(月) 場長に「海と空」執筆許可を得る。 和歌山日の御崎沖タイ縛網、未曽有の大漁。機船底引き禁止。 4月25日(金) 場長、漁業連絡試験に海洋調査やる話。観測線統一図青写真のこと。 4月26日(土) 朝、山下君の部屋で塩分検定、finishの巧みさに□□する。 「日本近海の水色透明度」を書き上げ、”Umi to Sora”に送る。 4月28日(月) 海洋図4月分完成。本田君と7時近くまで頑張る。 4月29日(火)雨 海と空の博覧会へ。丸川のおやじに貰った切符で□と行く。海の秘密館は内に海底の秘密、外に出目金、らんちゅう、和金、硫金とは、小馬鹿にして。 サバ巾着網、トロール、サケマス建網、カツオ釣、捕鯨工船、大謀網。 5月2日(金) 寺田先生を航空へ。英文abstract直して頂く。 「人の名を一緒に出して、もしも君が耻かく事があったら、その人も一緒に耻かかねばならぬ」 「日本語で□□□□のはっきりしないものは、英語でも直しやうない」 「子供の科学」へ海中に溶けたものを書く。 5月3日(土)素晴らしく好晴だ 場長より要求された予算説明書2篇を提出。(一般海洋調査と海洋調査による漁場の開発) 五月晴の 空を眩しく 仰ぎみる さつきはる 空に太陽は 輝けり 其の太陽は 眩しかりし哉 5月5日(月) 場長に予算説明書 : 一般海洋調査の目的、施行方法、効益、海洋調査による漁場開発。 樺太の大泊湾では数日前からニシンが群れて来た。漁民は大喜びで、湾一杯に船を出して漁獲していた。ところが、何らの前兆もなく、突風的暴風雨襲い来り、激浪舟を飲み、網を流し、行方不明2百余名と伝へられた。 5月6日(火) マグロ漁場の北遷なる論題で丸川さんが書いてあったのを見た。藤田君にマグロのことを書いた本を借りて見た。 5月7日(水) 数日来の梅雨曇り、からりと晴れ渡りて、いと朗らかなる緑の朝。 場長に昭和4年度の水理学の事業成績及び経過報告提出。 我が心 狂ひそめけり 荒らかに 人を叱りし あとの悲しみ 5月9日(金) 本年は一週間からサバ漁が早い。日本海京都、鳥取沖あたりでもう始る。瀬戸内海周防灘に入りこんだ。13-14度線との関係注目。 5月10日(土) 水産物理談話会、「日本近海透明度水色」の講演をなす。 石井君、「気泡発生装置」の話。 田内さん、FDのFisheries上の価値は認める。 O5, Currだけを見ている。色々有益な忠言があった。寺尾さん、妹尾さんからも色々お言葉があった。 5月13日(火) 漁業連絡試験会議があった。 5月27日(火) 観測線整理拡張委員会 5月29日(木) 場長、失業救済の人間の事につき話あり。3人入れる事になる。 若狭湾相談に丸川、小西氏の所謂□□しがたき点多し。 5月30日(金) 場長に意見を赤裸々に述べると、君は若いからとたしなめられる。 若狭湾流動調査計画図提出。 寺田先生にお目にかかる。比重計実験の事(ひれつき比重測定容器)と新案潮流計の基礎試験の事を覗ふ。 5月31日(土) 岩手の場長が見えて、漁況の好悪の目安となるべき方式の決定について語り、小生は漁獲能力、価格相場を語り、それを解析すべきを言った。また無線電信による全国海況漁況の統一速報について意見を交換した。 6月2日(月) 高山氏、東カムサッカにサケマス沖取りに行くとて、海洋観測法を聞いてくる。河口淡鹹水をみる事。 鈴木海軍技手氏見えて、夜間照明用潮流板の事を聞く。 吉村氏、湖水の深層水温のpaperを下さる。 今日は古い海洋協議会の記録を調べ、埋もれた宝を掘る。 6月4日(水) 水路部に岸人三郎少佐を訪ねる。Kurosiwo, vortical□□につき氏の説をただし、意見を交換す。水量の計算、dynamic meterの分布等目新し。 海洋談話会。会する者7人。相川君と僕と話す。 6月5日(木) 海洋気象台技師日高孝次さんと沖氏が見えらる。水色のscaleを二次元に。 岡本君に俚諺を表にする事を勧める。 水色透明度の別刷を場内に配る。 比重計の原稿出来上がる。 6月6日(金) 午後、原十太さんの所へ出掛ける。伊東孝一さんも居た。十太さん、余り意見を吐かれぬ。 比重計と塩検との差が表層で大きく、南から北に向ふにつれ垂直的に拡がる事。 6月9日(月) 糸の摩擦実験「 」借りて来る。 観測心得直し。 丸川のおやじ、大いに皮肉くりに来る。「水産の事が良く判って来ると、中中やれなくなる。君ぐらいの時が無鉄砲にぐんぐん色々な事をやるものだ。等々」 例によって、人をこなして我賢しの弁である。 岩波の「物理学」来る。 6月10日(火) 相変わらず「観測心得」直し。 高知、クロマグロ、カツヲの大漁で魚価大いに下がる。カツヲ1貫50銭とは。 6月11日(水) 海洋談話会8人、宇田、藤田。味噌の硬さを測る事を末広氏相談。 魚の鱗の上の色彩が吸ひ取り、紙の上に残せる事。コイの年輪、鱗には色はないといふ事。 僕は□天地を相似原理で。海底水に及ぼす地熱の影響が問題になる。 6月12日(木) 外務省照会。Soviet Russiaが間宮海峡(幅 最短5海里、最浅20m)を埋め立て、大陸と陸続きにするといふ。日本海海流に及す影響如何。日本海温暖となるや。Russiaの計画の如く、浦塩(ウラジオ)不凍港となり得るや。或いは丸川氏の言ふ如く、樺太東海岸により寒冷をもたらすや。或はアムール河へのサケマスの遡河阻害さるべし。とにかく融雪氷時の精細なる海洋観測結果にみるべし。 木村喜之助帰り来る。沼津魚群検知器□□□chanceなれど、飼付クロにつき実験百発百中と。クロ群海面やや赤らむといふ。 6月13日(金) 「観測心得」一日がかりでまとめ終わる。 魚群進行の紡錘型をなす事を木村語る。群の進行隊形として面白き事。鳥、人間、昆虫等にても同じ。Probable fnの適用を余述ぶ。 北辰電気よりPyrometer式Electric resistance self recording Thermometer (water)の相談を受く。 6月18日(水) 海洋雑誌会。山下君、リン酸硝酸の事。岡田さん、大陸移動の原因。 6月20日(金) 若狭湾調査に行く事になる。 寺田先生にお目にかかる。まあ綺麗な絵でも描いて、場長を喜ばすんだね。三次元の海水運動のsink, source, 6月21日(土) 水産物理談話会、寺尾新さん、クジラの胎袋の成長につき語る。冬の捕鯨□早春の銛打ち込まれ、早産? 僕: 比重測定の精度。田内さん、塩分と魚との関係の研究を勧めらる。そんな末葉に余りこだわってはいけない。つっこまれない程度に。 松生さん、surface tensionにつき色々ご注意あり。 泥、プランクトンの一様なる沿岸水は□□□□が大いにあるが。 夜、三宅精訪問し来る。自然科学はidealを置くものにあらず。idealを見つけ出すものなり。 6月23日(月) 月報。比重計の論文謄写。 6月24日(火) 月給126円貰へば、すぐに100円に減ってしまふ。借金ある身は。 紫陽の 花の青味や 川開き 狸穴を いでたる所 紅の百合 6月25日(水) 本日から漁撈海洋調査打合せ会議開かる。 水色計をそのまま箱に入れたまま白紙を下敷きにして見るか、取り出してかざして見るかが、僕と丸川さんと意見が違った。僕を支持する倉上さんの意見も出、結局、熊田さんの取り決めが従来通りに落ち着いた。 本日は漁撈の問題で、お昼に若狭湾の協議をした。三県とも乗気に進んでいるのは喜ばしい。 6月26日(木) 第二日は大蔵省会議室で。ブリ調査と観測線の事で午前中かかる。皆決まる。 午後一時、海洋調査、漁況速報の手段。 夜、盛京亭で懇親会あり。 6月27日(金) 第三日。底質の問題。海洋と漁況の問題、各地方の成績。発表の事あり。大変活気あり、有益なりし。北海道倉上さんイカ、マグロ。千葉永見さんカツオ予報。朝鮮福井サバ。福岡イワシ。宮崎ブリ、マグロ、等賑やか。 僕と丸川さんカツオを。岩手もちょっと。吉田秀一、中山氏等、僕のphysicalの見方に不満の意を休憩時に言ふ。僕、統計の基礎と方法につき説明す。 午後、講演。原さん plankton indicater。岸人さん黒潮について。熊田さん 短編二つと題し、支那海・渤海のタイのお話。 終って、僕ら 若狭湾の協議をまとめる。 6月28日(土)霧雨 青森と福島の海調主任たちを案内して廻る。 岡本君、藤田君、前途の事、待遇の良くならぬ事、海洋調査に絶望してここを去った人々の事を語る。悲しき人の□。欲望の渦は社会主義でも収まるまい。 7月6日(日) 早朝、東京出発。夕暮れ、名古屋着。 7月7日(月) お昼、名古屋発、京都へ。 7月8日(火) 早朝6時、京都発。舞鶴を経て、宮津へ。 水産講習所にて中島所長、落合清技師と会談。中井氏の案内にて橋立見物。 7月9日(水) 今日、蒼鷹丸着くはずなりしも、逆潮に悩みて遅れ、夜12時着。 僕、昼間図書室を見る。中島所長私邸にて囲碁見学。夜また岡崎宅へ。 7月10日(木) 朝、新舞鶴発。午前、水講にて各船集合、打合せ。共に昼食。 午後、物品分配。 7月11日(金) 早朝5時発。Cross obs.に宮津発、越前岬に向ふ。雨来る。風濤激し。 沖でアカダイ釣るといふ。イワシ、サバの獲れぬといふ。 夜、浦底沖仮泊。 7月12日(土) 夜、小浜に着く。 汁粉など甘いものやたら好きな水産学校長に会ふ。 7月13日(日) 小浜沖のdrag済んで越前岬沖へ流す。 夏イカの夜釣りの灯がチラチラと地元に集まっていて美しい。船でも安西さんが二つ三つ釣った。 十六夜の月が遅れて海に出るのも美しい。 7月14日(月) 越前岬drag。福井の船、二州丸に会って、呼び、答へる。 敦賀に3時半。入浴して盛り場を歩いただけ。何だこんな淋しい街か? 夜中走って経ケ崎へ。 7月15日(火) 相変わらず油を流したやうなベタ凪だ。暑い甲板でエビの炒ったのが出来そうだ。 えらい速度で1〜2 knots流れている対馬暖流。サメ、カジキ、小鯨、シイラ、水鳥、カハハギ、エビ子、ハコフグ、お客さんの送迎に□もない。 この先走って、成生崎沖にかかる。 7月16日(水) エクマンメルツ潮流計、13時間観測。終って宮津へ。 夕照の美しさ。いい夕焼けの空だ。大帆船の浮んだ姿、絵が描きたいと、本当に思った。 7月18日(金) 未曽有の大台風706 mm、西九州、南鮮を襲ふ。風速40 m を超ゆ。世界4番目、日本3番目。 7月19日(土) 朝鮮水害甚だし。 夜雨、兄に送られて夜行で。 7月20日(日) 朝6時、帰京。神保町で日本海洋学、海:ローマンス、水産宝典、3冊11円買ふ。 7月25日(金) 僕の一生を献げむ仕事は海の潮目の問題だ。それは無限に拡がる曠野だ。切り拓け、僕の小さな弱い腕の力のあらん限り。Dynamical 7月26日(土) ○東北海区の暖水、寒水の織り成す渦、紋。今年、去年、カツオ漁場の位置との関係。 ○東北海区の水温を八丈島付近にて予察する事は不可能なのか。更に八丈島と潮岬沖、鹿児島沖、台湾沖との関係は如何。 ○若狭湾、相模湾の如き暖流支流の流入状態によるブリ、サバ漁業の影響如何。 ○海岸線を0 line とする。風向をこれに対し角度を以て□□り、イワシ漁のfrequency curveを作ること。 7月27日(日) 朝、Wűstの三大洋の循環流の論文読む。 田内さんの所を1.3円の大西瓜をぶらさげ訪問。 7月28日(月) 月報に忙し。完成。 7月30日(水) 台風来。一日風雨すさびぬ。 飛行機から見た海岸線の写真を集めて並べた。Current drag pursuit(抵抗体追跡)に飛行機又は繋留気球の利用は如何? Kinematographic research of dynamical movement of sea water は ? 波、潮目、…… 8月2日(土) 岡山県の頼みの中国近海海流図作製 (渡辺君)。 8月3日(日) 丸善に行き、A. Defant: Meteorologie 買ふ。 8月7日(木) 会計検査員来。大蔵省松田事務官、二属官。整理改良指導主義。まず構内巡視。終って講評。7時頃であった。 場長、僕を読んで、水産の為に大いに海況と漁況との関係を研究してくれ。場合によっては、内部で人の入れ替えをしてもよい。それに適当した人に。ただ海洋の調査ばかりでは予算とれぬ。日本海調査計画結構。断言したとしてはいけない。君、今度神戸へ出張して相談して来てくれ給へ。 8月8日(金) 今朝寝坊。10時出庁。神谷さんが随分好意を以て調査部の為に色々骨折って下さる。徳寿丸観測依嘱の事を下打合せさせる事になる。 高山氏カムサッカより帰来。西岸もこれまで不漁、東岸は昨年とともに本年も過去にない不漁。どうもその原因が判然せぬ。海洋調査の方では、どうとも理屈つけれても、本当の事分からぬ。Logで表面流は大きく出過ぎる。サケの□来がないのに、腹ふくれた成熟サケが一月もそのままの腹で海に止まりをるとは考へられぬ云々。 本日はやはり海洋図整備に。 8月11日(月) Bering Straitを埋め立てるといふRussia、ここへ橋かけよといふAmerica。埋め立てればOkhotk, Kamchakkaがうんと暖かくなり、魚などに大変化があろうと言ふ。夢のやうな、□□のやうな。また独仏でアフリカの砂漠の底の地中湖の水を打ち上げて、肥沃な土地を作ろうといふ。夢想兵衛。 どうだ日本琉球あたりに台風避けの島を作ってはとある。新聞の大見出しで出ていた。 8月13日(水) 又大変猛烈な台風が発生した。南北大東島に大被害与へて、北に進んで、九州浦潮大しけ、中国豪雨。大東島で692ミリメートル、風速57メートルを算したといふ。 8月15日(金) 大日本気象学会にて、藤原先生ご紹介により、岡田武松さんにお目にかかる。僕が海洋物理をやっているといふと、嫌な顔され、農林省のは水産についての海洋の調べでなければならぬと力説さる。藤原先生が平年図を喜ばれて、あれが天気予報などに参考になる旨述べらる。 岡田「Book knowledgeはすぐ分かる」「Zepperinに本職の立派な気象学者ザイルコックが乗って来たのはさすが独逸だ。えらい。僕の方、今度20トン発動機船できる。これで大阪湾内を調査する。春風丸はこの冬、土佐沖をやりたい。」 高谷静馬君は物理学校出だが、気象学はもう中中やさしい□□□なくなった。 藤原「いややれば問題はいくらもある。ただそれに専念しなければ駄目」。 8月20日(水) W.J.Humphrey氏、Ann. & Hydr. 1930 6月号、成層圏の気温を決定する原因について。まず殆ど対流なき事、中緯度で地表10-11km、熱帯16-18km、雲のため高さにつれ増えも減りもせぬ。即ち氣塊交換の起きなくなる。 8月21日(木) 場長に頼まれて、ブリ大敷網訟訴の問題、境界の三角式による□□。渡辺信雄君に手伝ってもらひ提出。 8月22日(金) 場長、僕の著、平年海洋図を200部余計増刷することにしてくれる。 8月23日(土) 丸川さん、29日迄、7号艇にて学生海洋実習。(相模湾、駿河湾)兼焼津漁撈養殖講習に。 8月31日(日) 梅の葉に 夜の灯映す 初時雨 石塔も 切支丹坂と 時雨くる 9月1日(月) 「海と空」第10年記念号送り来る。僕のpaperも載ってをる。 八丈の松本氏が来た。6月中旬にトビウオ初漁あり。予報的中せりと。カツオ漁は初期に良かったが、この頃ペケ。ムロが初夏の頃、冷たい水に押し上げられて獲れること。引き潮の折り冷たい水が上がる事。初夏に悪い潮の北から射して来る事。漂着物は秋に多い。先般の台風で九州で壊れし船具などが着いた。 「思想」第100号記念号に寺田先生の「映画時代」が出ていたから、買ってくる。 9月2日(火) 高山さんがカムチャッカ東岸の表面潮流2月観測dataの取り纏めの方法聞きに来る。3カイリの露領海に流網の入らぬため。 9月4日(木) サンマ走り、千島沖に高知漁船により本日獲れた。例年より10日早い。 9月5日(金) 高山さんカムチャッカの海潮流の取り纏め聞きに来る。 いやな要報原稿と取っ組みあって苦労している。 浅間、今暁4時噴火、午前10時過ぎ、東京一円に降灰。 9月7日(日) 父と歌舞伎座「大菩薩峠」 9月8日(月) 中里介山著「大菩薩峠」第1巻買って来た。 9月12日(金) 午後5時、大雷雨あり。 9月13日(土) 良い天気だ。昨日三分刈りした頭□が涼しい。 水産物理談話会で、木村喜之助君 : □□のhead spaceの計算法について語る。 宇田道隆君 : 日本近海における各種水系及びその運動について語る。 田内さん、寺尾新さんより、好評を頂く。general problemとscience 9月15日(月) 場長に出張の相談。すぐ承知してくれ、二割引の切符までくれる。庶務渕上氏に力説して、日本海調査を納得さす。 夜旅装をまとめ、發。 9月16日(火) 名古屋着。兄宅で昼寝。夕方発。10時過ぎ着。 9月17日(水) 朝10時、海洋気象台、須田、日高技師訪問。日本海調査は誠に結構で、賛成である。具体案を作って貰へば、それに重複しないやうに当方では行動したい。 見学。工場で測器自給自足。印刷工場、手早く安定して。 9月19日(金) 浄水所見学。谷本清に会ふ。淡水planktonの近藤氏にplankton□り、8月著しき激増ぶりを見せてもらふ。 9月20日(土) 神戸へ。朝、海洋気象台から須田氏と春風丸見学に行く。気象機械設備、化学分析室。 須田氏に太陽軒で昼飯馳走になる。海港博覧会第二会場見に行く。水族館に兵庫県で出したタイが泳いでいる。海女が潜っている。水産館、トロール熊田氏とカキ日下部氏に会ふ。 夜発。 9月23日(火) 登庁。何も出来ない。寂しい。焦心。 瓶流し拾い上げ人の賞状原稿、場長引き受ける。場長550部の海要を450部に減らす。 丸川氏、三崎の東京湾水産協議会に出張。 夜、7:30寺田先生宅に上る。缶詰を進上。下啓助氏、水産の科学化に初めて着目されたる事。網糸の腐る事などを物理的に取り扱へる事を示した意味で、僕は誇りとしている。Economical Meteorologyといふ本がある。実際生活上大切。対馬海流の消長は裏日本の気候に大いに関係する。雪量から、ひいては高気圧の発達程度に で気温、蒸発量といったもので□□□に分けると同じやり口でやればよい。ただ重要因子のどれを取るかが問題である。 9月24日(水) 朝「文学時代」読み、須田、日高、西田、吉村、松田氏に手紙書く。 9月25日(木) 池田信也氏帰り、三陸沖の海況を語り、暖流遠きを告ぐ。 9月27日(土) 月報作り上げる。 水産物理談話会。ニシン流網に罹る□□□スルメイカの漁況予知、相関係数0.9.梶山さん、タイ1.01以上の鹹度で育つことなど。木村君、英虞湾の□り割りの事。岡田さん、冷蔵庫内の渦流。 9月28日(日) Defant海洋学の勉強。水政に寄稿の骨組みを考へる。 10月13日(月) 来夏、日本海調査につき、その方法で高山、丸川、神谷、場長と激論。丸川氏曰く、君は自信が強い。どちらかと言ふと過信だといふ。場長に命ぜられて、意見を草す。 10月14日(火) 東北一道六県の海洋協議会に臨席の命あり。丸川氏と交代の事との話。講演資料をまとめておく必要あり。 10月17日(金) 父、伝記材料を写しに帰高の途(高知へ)に上る。12h45m「さくら」にて。暫く其白髯赫顔の温容に接し得ぬかと思ふと寂しい。何といふ暖かい人間味のある目であろう。父だ。父だ。精養軒にて昼食。尾崎氏令息と共に見送りに来らる。 10月18日(土) 蒼鷹丸船長、真後、田村、土屋、出口、挨拶に来る。 午後、水産物理談話会に出る。星野氏 : 簡易魚糧乾燥機。宇田氏 : 相模湾の海況(1929年12月〜1930年5月)千葉以北サンマ漁場に就いて。 妹尾さん、興味ありとなす。 僕は少し論文濫作の弊に陥ってをる。当分慎んで、巨弾を放ちたいと思ふ。 10月19日(日) 朝、原稿校正で水鼻たらしながら。よいお天気だ。 10月20日(月) 日本海調査の件につき、場長、丸川、神谷、高山氏と集まって相談した後、僕の下案起草。色々丸川氏と相談、訂正す。 10月21日(火) 水産物理談話会臨時会。梶山英二さんのクルマエビの活力に就いて。妹尾さんが色々とエビの話をする。熊本鬼塚氏の養殖苦心成功談。 10月22日(水) 海洋雑誌会。宇田 : Brookesの海流が天気にいかに影響するかの論文読む。 岡田さん 潮位と風Bruno Schulzのpaperを読む。 10月25日(土) 月報原稿作る。 10月29日(水) 既往試験調査概要報告。 新光社から日本地理風俗大系の関東地方海流を書いてくれと頼まれた。 10月30日(木) 熊田頭四郎さんが来た。底質の分類に底流の強弱を以てする。底質図が直ちに底流図を表す。黄海と北鮮の海の類似せる事、底にはえた□の如き冷水のあるためで、冷水は冬出来た北の□氷の水が潜ったもの。底魚の日々の移動が実に面白い。トロール漁場の荒廃。 10月31日(金) 朝、藤森技師と日下部、山下と集まり、東京湾奥調査談。 場長より緊縮整理1/4の話あり。 午後、水産試験場処務細目決定のための臨時技師会開かる。 一晩かかって、子供の科学社からの頼みの「開かれた未来の海」の話をまとめ上げ、綿津海夢夫といふ匿名で出す。 11月1日(土) 若狭湾まとめもとを3人の助手に分担さす。 昨夜2時まで頑張ったため眠い。別にこれといふ仕事もしないで一日が暮れる。 11月2日(日) 朝から漁業基本調査報告の抄を作っている。 11月3日(月) 今暁3時、飛電あり。「チチ モヨウワルシ スグカヘレヌカ」 すべて始末し、場長宅に行き、後事を託し、午前9時発、特急にて西下、特急満員のため、密乗を企つ。午後6時神戸着。8時半、天祐丸に乗る。兄、春姉、恭姉に会ふ。 11月12日(水) 脳溢血、午後6時16分、父君没す。 11月22日(土) 岡田光世氏、海外留学決定すと語らる。訪問すべき学者につき語る。 上野学士院、太平洋調査委員会傍聴。 半澤正四郎氏 台湾南部の隆起サンゴ礁について 重松氏 大正15〜 軍艦満州の南海調査成績を語る。疑□多々あり。黒潮の存在を疑ふ如き意見もあり。 11月23日(日) 宝紋と バット献げむ 滄溟忌 (注 バットは煙草の銘柄ゴールデンバット) 夜、関東地方の海流につき書く。気色よし、1時半まで勉学。 11月24日(月) 高山氏、サンマの論文を喜ばれ、池田氏との共同研究を勧めらる。池田氏、資料集めに出張の事に決まる。 ブリ鱗5歳魚、サンマ成績を漁獲高図示図。丸川、相川氏見せてをる。 要報くらいの資料から何らかを得んとする事を場長望めり。 要報No.46出来。 11月26日(水) 伊豆大地震。午前4時。震源は丹那盆地韮山付近。温泉全滅。惨状激甚。 月報原稿渡。 11月27日(木) 場長から、岩手、宮城二水試に出張を命ぜらる。 丸川さんに語る。新案陶器製あば(浮子)持参の□んあり。 関東地方海況書き上げ。 11月28日(金) 木村君、高山氏、池田氏に岩手行きにつき、いろいろ聞く。 山下君に栄養物の研究まとめ方を語り、プランクトンとの関係□とし、神谷氏に既往試験報告の漁基(漁業基本調査)の分提出。 臨時技師会あり。年末宴会。 相川君によく僕の考えを話し、納得行かす。 夜、漁場の理論を練る。困難なる哉。 12月1日(月) 岡田さんは愈々洋行が決まった。 12月2日(火) 物理懇話会。帝大地震学の今村明恒先生、11月26日の丹那地震(注 : 北伊豆地震)の調査の結果を語らる。京都の預言者の物語り、地震時の閃光現象と、実際見たと言ふ人があった。送電線短絡のための発光が雲でも写るためだろうと言う説が強かった。丹那盆地数百尺の地下でトンネルを以て断層下部変移量8尺なる事を見た。 坪井忠二氏、丹那地震と共に、測量調査方針を語らる。 夜10h30m青森行き急行に乗る。 12月3日(水) 寒疎な東北の冬枯れの野を汽車走る。雪が白い。懐かしい仙台、特にあの東一番町。一関辺りから吹雪いて来る。最も降った所で三寸もあっただろうか。 東日本の気象のlongitudinal sectionを見ているのだと言ふ興味深い気持ちになる。 小樽へ行くといふ電気屋の一青年と落雷の話や、何かと四方山の物語。花巻である。 12月4日(木) 10時、林氏と簡便海水化学分析の談をしながら、試験場へ向ふ。北西の風強く、海上の岩手丸はマグロ縄に行っての帰りか、1時間4ノットしか出ぬ難航の由。20銭鉢2千円位流したと。内部参観。クジラの胎児。サケの卵から発眼数週間、yokeを吸ひ、稚魚となる発生順序を見る。 ストーブ囲み雑談。観測の既往の抜けた所を長岡技手の手で調べて貰った。 無電局で宇佐美氏に会ふ。甚だ得る所少ない旅であった。 12月6日(土) 岩手県は来年からトロール監視船が出来、監視を主に海洋調査を従にやる。新しく加われば、周年出来ると言ふ。朝、事業報告を明治45年頃から調べて、海況の過去の資料整理、漁況一覧(カツオ、マグロ、ネズミザメ、サンマ)。小安、長岡氏に出来魚、とろみ、潮目を聞く。 昼飯、月見うどん。難航して入港した岩手丸の獲って来たマグロ刺身。 当業者を訪問、得る所多し。魚が沖へ出て獲れんで、もう精も根も尽きましたと語る。 12月7日(日) 午前6時半出発。自動車にて37哩、3時間3円にて遠野まで走る。朝日がうらうらと入江のサケ建網の辺りに光る。峠にはまだ雪が三寸位の厚みに残ってをる。木々枯れ、岩現れて、雪を溶かす清冽な水の流れ、赤い宝珠のやうな木の実が見える。沢に熊がしきりに出ると言ふ。三頭獲ったそうだ。兎はいくらもいる。退屈のあくびが出る。馬が驚いている。 花巻の1時着き、一関に4時、気仙沼に7h20m着く。 菅原旅館へ。風呂を上がると、分場長竹本正文氏がお出でになる。温厚篤実な立派な方である。色々話を承る。 12月8日(月) 分場の人の案内で大東丸を見学。カツオ1万本を入れる魚倉を見る。Wind ventilatorに打ち込む大波の話を聞いた。 上がって、竹本氏と話しながら、新築基礎工事中の分場に向ふ。途中、江畔に古生石灰岩の露出した□。珍しき木々、紅葉の美しい一景島。周りは海苔の が。入江の向ふには大島の山々が見える。田圃道を通って、山の上の仮校舎に行く。野本氏、船長、大宮丸船長に会ふ。色々漁の話、海の話。 12月9日(火) 朝6時半発、新田行き自動車に。仙台弁が漸く耳音につく。同乗の百姓が米の安い事を嘆じてをる。2時半で新田に着く。汽車で小牛田から乗り換え、石巻に着く。ここから乗合自動車で渡ノ波へ。 うどんで昼飯して、試験場へ。校長さん、河合技師がちょっと威張ってをる。佐々木氏、神崎氏、武久氏に会ふ。海洋調査は道具がないから出来んと言ふ。無電室は整頓されてをる。広々した校舎だ。4時辞して、魚市場。盛んにイワシが上がってをる。海水館に案内さる。 12月10日(水) 石巻測候所の高台を訪ぬ。所長いまだあらず、所員に種々のこと聴取す。80%まで予報当ると言ふ。 省線で仙台へ。松島をすぐ、晩翠軒でパンのひるめし。実にうまかりしき。酢カキを味ふ。 東北大図書館で、東川楊舟さんに会ふ。機械工学に市原通敏に会ふ内を案内してくれる。 二高を訪問。旧懐の念にたえず。庄司先生おいであり、物理室も広く立派となった。 10時半発。 12月11日(木) 東京に朝6時50分着。 役所に出る。賞与390円貰ふ。実に俸給3月分に近し。蓋し、予想以上に多かりき。 12月12日(金) 眠い。貯金310円。円タクで登庁。 日本総人口 9,034万人とはどうだ。 岡田藤兵衛氏が「水産」に海洋図載せてくれと頼みに来た。場長も書いてやれと言っていた。 夜5時から赤坂「幸楽」で技師会。出る話から見ると、ブル趣味を羨望する徒党の集団のやうにも考へられる。 12月16日(火) 水理懇親会をなす。13円位、僕出資。銀座アスターにて支那料理。 12月17日(水) 寺田先生に理研でお目にかかる。汎太平洋の英文校正のためで、漁業と海との調べを鼓吹せられた。先生は実に勉強家である。朝早くから夜遅くまで丹那地震と電線短絡発光現象をお調べ中とのこと。 12月18日(木) 霜白く、6年振りの寒さ。黒点が減って来たそうだ。 若狭湾の海流の計算をしている。 12月19日(金) 相変わらず若狭湾の調べ中。 「中央公論」正月号を買って読む。寺田先生の随筆が載ってをる。煙突男とRamanの事。面白く拝見した。 12月20日(土) 東北大の林さんから電話があったので、待っていたが昼まで見えなかった。 小倉伸吉博士の論著6編を賜る。多謝すべし。潮汐及び海面昇降の御著なり。 場長、福井へ補助200円支出の事、気軽く承認してくれ嬉し。 北海の海洋記録蒐集を急ぎたい。 自分は理論を忘れてはいけない。 12月21日(日) 福島栄七君が上京して来た。連れだって昼神田の古本屋巡り。藤田経信「水産19世紀史」を買ふ。 12月25日(木) 古本を8.5円で売り払ふ。父の社会主義の本と、三国志と世界文学書。 |
|
(C) Copyright 2012 Tokyo University of Marine Science and Technology Library. All Rights Reserved.
|