廻舩安乗録
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書誌事項
廻舩安乗録 / 服部義高著
江戸 : 須原屋茂兵衛 , 文化7 [1810]
3, 2, 43丁 ; 22.6×16.1 cm
和漢古書につき記述対象資料毎に書誌レコード作成
題簽剥落
所蔵
東京海洋大学百周年記念資料館寄託資料 (東京海洋大学附属図書館越中島分館所蔵資料)
請求記号: Ai/1125/B
資料番号: 50000011674
解説
廻船安乗録の広告によれば、「廻船安乗録後編全一冊」が記載されているので後編があるのではないかと思われるが、刊行の有無は不明である。後編の存在は確認されていない。
著者服部義高は、船長として久しく伊豆八丈島の航海に従事していた。
伊豆八丈島は、伊豆七島中最も江戸との海路交通往来の頻繁な所であった。また、江戸以外の附近の島嶼との海路交通の必要もあった。
これらの航路は危険が多かったので、造船・航海術等が進歩発達した。
服部義高の如き実際の航海家が海事著述を行うのもまた至当のことである。
本書の記述は著者の実際的経験から出たものであるので何れも適切であり、簡明でしかも要を得ている。
服部義高は、もと三宅島地役人笹本平兵衛の二男で左太郎と称し、後清徹と号した。
天明5(1785)年八丈島の官船預を勤めた服部氏が父子とも溺死したため、服部一族の請を容れて服部家を継いだ。
服部源五郎義知が幼少であったので其の後見をした。天明6(1786)年御船預代乗、寛政8(1796)年御船預をした。
寛政10(1798)年まで勤役し、源五郎義知に家事相譲り、隠居した。天保6(1835)年4月21日死去した。法名は等覺院成譽清徹居士である。
参考文献
住田正一編 (1969) 海事史料叢書 復刻版 第6巻
住田正一編 (1969) 海事史料叢書 復刻版 第15巻