紀州天壽丸露國漂流記

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書誌事項
紀州天壽丸露國漂流記
[東京] : 石井研堂 [写] , 昭和2 [1927]
[69]丁 ; 24.3×16.7cm
和漢古書につき記述対象資料毎に書誌レコード作成
写本
書名は書き題簽による
序の末尾に「昭和三年二月十二日起筆同十四日夕卒業 石井研堂識」とあり
「天壽丸漂流記」と「天壽丸異聞別録」は石井研堂が原稿用紙に写した。また、「極密内存」と「附録 一葉丸心得の趣」は紀州御坊町芝口常楠氏が白紙に写した。石井研堂がこれらの資料を1冊にまとめた。
印記: 「漂譚樓」 (石井研堂)

所蔵
東京海洋大学百周年記念資料館寄託資料 (東京海洋大学附属図書館越中島分館所蔵資料)
請求記号: 290.9/Ki58/B
資料番号: 2014504563

漂流事情
嘉永3[1850]年1月9日、紀伊国日高郡の和泉屋庄右衛門船、天寿丸(乗組員13人)が江戸から上方へ航行中に伊豆沖で漂流した。
3月13日にアメリカ捕鯨船ヘンリー・ニーランド号に救助される。
乗組員13人のうち、6人(長助、辰蔵、太郎兵衛、清兵衛、与吉、半六)はロシア捕鯨船マレンゴ号に移された。
マレンゴ号に移された6人はペテロパウロフスクに上陸した。捕鯨船ニムロッド号に移された新吉と浅吉も上陸し8人となった。
半六が脚気になり病死し7人となった。アヤンを経てシトカに送られた。
嘉永5[1852]年6月24日、7人(長助、辰蔵、浅吉、太郎兵衛、清兵衛、与吉、新吉)はメンシコフ号で伊豆下田に入港したが、韮山代官江川太郎左衛門が7人を受け取らなかったので、7人は6月29日に二隻の小舟で伊豆中木浦に漕ぎ着けた。
下田を経て江戸へ護送され、嘉永6[1853]年1月に故郷へ帰った。