享和漂民記

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書誌事項
享和漂民記
[書写地不明] : [書写者不明] , [書写年不明]
[29]丁 ; 27.0×18.8cm
和漢古書につき記述対象資料毎に書誌レコード作成
写本
題簽無し
表紙に「享和漂民記」の墨書あり
序の最後「文化庚午秋月 東都 滕成裕」とあり
序の後に研堂補足の本文要約あり、又朱書で「本書は冩字好けれども烏為焉馬の憾みあり、氣付き次第加朱す 昭十二・四・八日 研堂」とあり
秩の題簽に「佐藤成裕 享和漂民記 :全 立原杏所旧藏」とあり。佐藤成裕は序の著者であり、本文の著者は不明である。
朱墨の書き入れあり
印記: 「漂譚樓」 (石井研堂) 「立原任記」

所蔵
東京海洋大学百周年記念資料館寄託資料(東京海洋大学附属図書館越中島分館所蔵資料)
請求記号: 290.9/Ky6/B
資料番号: 2014506051

漂流事情
享和3(1803)年11月、奥州北郡牛滝村の慶祥丸が銚子沖で漂流した。漂流中に八人が病死した。
継右衛門ら六人は享和4(1804)年6月、千島列島のホロモシリ島に漂着した。カムチャッカに送られ、厚遇された。
しかし、レザノフの対日交渉が失敗すると冷遇されるようになり、身の危険を感じた漂流民は小舟で島伝いに千島列島を横断した。
文化3(1806)年7月2日、エトロフ島のシベトロ番屋に出頭した。