紀州太郎兵衛自筆漂流記

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書誌事項

紀州太郎兵衛自筆漂流記
[書写地不明] : [石井研堂] , [書写年不明]
[42]丁 ;  25.1×17.2cm
和漢古書につき記述対象資料毎に書誌レコード作成
書名は書き題簽による
写本
本文前に「追録、又別冊天壽丸露國漂流記(研堂手写)有り、九助菊治郎等一行五人の帰朝記録、漂民 蛮話一冊あり別に蔵す
同書によれば一行は太郎兵衛等の八人と九、菊、佐藏、吉松、市楠の五人と二組に分れ菊等の組は四年亥四月長崎に帰着したるなり。彼此参照して全貌明かなり石井研堂識」とあり
印記: 「漂譚樓」(石井研堂)ほか蔵書印1印あり

所蔵
東京海洋大学百周年記念資料館寄託資料 (東京海洋大学附属図書館越中島分館所蔵資料)
請求記号: 290.9/Ki58/1B
資料番号: 2014500118

解説・漂流事情
本書は石井研堂の「漂流記本目録」には、「紀州太郎兵衛自筆漂流記 大二冊」とあるので、乾坤二冊あったと推定されるが、現在は坤の所在不明である。
嘉永3[1850]年1月9日、紀伊国日高郡の和泉屋庄右衛門船、天寿丸(乗組員13人)が江戸から上方へ航行中に伊豆沖で漂流した。
3月13日にアメリカ捕鯨船ヘンリー・ニーランド号に救助される。乗組員13人のうち、6人(長助、辰蔵、太郎兵衛、清兵衛、与吉、半六)はロシア捕鯨船マレンゴ号に移された。
マレンゴ号に移された6人はペテロパウロフスクに上陸した。捕鯨船ニムロッド号に移された新吉と浅吉も上陸し8人となった。
半六が脚気になり病死し7人となった。アヤンを経てシトカに送られた。
嘉永5[1852]年6月24日、7人(長助、辰蔵、浅吉、太郎兵衛、清兵衛、与吉、新吉)はメンシコフ号で伊豆下田に入港したが、韮山代官江川太郎左衛門が7人を受け取らなかったので、7人は6月29日に二隻の小舟で伊豆中木浦に漕ぎ着けた。
下田を経て江戸へ護送され、嘉永6[1853]年1月に故郷へ帰った。