漂流民上書 海防五策 : 完
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書誌事項
漂流民上書 海防五策 : 完
[書写地不明] : [書写者不明] , [書写年不明]
[33]丁 ; 25.1×18.4cm
和漢古書につき記述対象資料毎に書誌レコード作成
写本
書名は題簽による
第一丁の欄外に「松本斗機藏上書一章、研堂著異國漂流奇談集附録ニ収刊セリ」とあり
丁数: 上書(10丁)、愚意上書(3丁)、海防五策(19丁)
印記: 「漂譚樓」 (石井研堂)、「家在蘇山陽野田氏」

所蔵
東京海洋大学百周年記念資料館寄託資料(東京海洋大学附属図書館越中島分館所蔵資料)
請求記号: 290.9/Ma81/B
資料番号: 2014506035

解説
内容は、「上書 松本斗機藏」(天保九戌年十二月)、「愚意上書 中島清司」(午七月十八日)、「海防五策 某氏撰」が収載されている。

天保8(1837)年6月29日、日本人漂流民7名を乗せたオリファント商会のモリソン号が江戸湾に入り、浦賀沖に近づくと砲撃を受けた。
7月1日砲撃が再開され、武装していないモリソン号は撤退を余儀なくされた。
7月10日鹿児島湾に入ったが、7月12日砲撃されたため撤退し、マカオに帰帆した。
天保9(1838)年、モリソン号来航の一件につき、オランダからの文書が幕府に提出された。
この文書により、幕府は初めて、モリソン号に日本人漂流民が乗船していたことを知った。
老中水野忠邦は、異国船に日本人漂流民がいた場合の対策について、評定所に答申を出すように命じた。
評定所は無二念打払い令の続行との強硬策を上書した。しかし、水野忠邦は強硬策には危惧の念を抱き、評定所に対しては再度の上書を促し、勘定奉行所などの諸機関へも独自の上書を提出するように命じた。結局、水野忠邦は穏健策を採用し、漂流民を引き取る政策を実行した。
松本斗機藏の上書(穏健策)はその頃提出されたらしい。また、中島清司の上書も穏健策を提案している。

松本斗機藏:松本胤親の通称である。
寛政5(1793)年生まれ。塩野適斎に漢学を学んだ。
文化6(1809)年、幕府の素読吟味に合格し、八王子千人同心組頭役見習となる。
最上徳内から、外国地誌を始め多くの文献を借り受けて書写した。高橋景保と親交を持ち、満州語に通じた。
天保12(1841)年9月12日、浦賀奉行着任直前に病没した。

中島清司の経歴は不明。