北沙奇聞録

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書誌事項
北沙奇聞録 : 全
[書写地不明] : [書写者不明] , [書写年不明]
[75]丁 ; 24.6×16.6cm
和漢古書につき記述対象資料毎に書誌レコード作成
書名は扉の墨書による
写本
印記: 大塚重冠蔵書之印

所蔵
東京海洋大学百周年記念資料館寄託資料(東京海洋大学附属図書館越中島分館所蔵資料)
請求記号: Ai/1042/B
資料番号: 50000005475

漂流事情
嘉永5(1852)年、漂流民太郎兵衛、新吉、辰藏三人の聞き書き、嘉永6(1853)年、漂流民太郎兵衛、菊次郎二人の聞き書き。
二つの聞き書きが一冊になっている。江戸在府の紀州藩士が私的に行ったものらしい。なお、本書には絵図(彩色絵図もあり)17枚ほどあり。

嘉永3[1850]年1月9日、紀伊国日高郡の和泉屋庄右衛門船、天寿丸(乗組員13人)が江戸から上方へ航行中に伊豆沖で漂流した。
3月13日にアメリカ捕鯨船ヘンリー・ニーランド号に救助される。乗組員13人のうち、6人(長助、辰蔵、太郎兵衛、清兵衛、与吉、半六)はロシア捕鯨船マレンゴ号に移された。
残された7人(虎吉、菊次郎、市蔵、吉三郎、佐蔵、新吉、浅吉)のうち、2人(新吉、浅吉)が捕鯨船ニムロッド号に移された。
ヘンリー・ニーランド号がホノルルに入港すると、間もなくニムロッド号の2人もホノルルに入港した。
5人は9月に天保12(1841)年に漂流した土佐の漁民万次郎ら4人に会った。11月にアメリカ船コッヘシ号でホノルルを出航し、嘉永4[1851]年2月に香港へ入港した。3月に天保6(1835)年に漂流した肥後の庄蔵に会った。6月に天保3(1832)年に漂流した尾張の宝順丸の音吉に会った。
5人(虎吉、菊次郎、市蔵、吉三郎、佐蔵)は清国船で11月11日に乍浦を出帆し、11月28日に長崎へ入港した。
また、マレンゴ号に移された6人はペテロパウロフスクやアヤンを経てシトカに送られた(途中で新吉と浅吉が合流)が、1人(半六)が病死した。
嘉永5[1852]年6月24日、7人(長助、辰蔵、浅吉、太郎兵衛、清兵衛、与吉、新吉)はメンシコフ号で伊豆下田に入港したが、韮山代官江川太郎左衛門が7人を受け取らなかったので、7人は6月29日に二隻の小舟で伊豆中木浦に漕ぎ着けた。下田を経て江戸へ護送され、嘉永6[1853]年1月に故郷へ帰った。