東京海洋大学所蔵古地図等公開 展示目録(古地図)


展示番号 書名 / 著者等 刊行年 刊又写 解説
古地 1 新刻萬国興地図 明治4年
[1871]
イギリス人セ・スステルの地図の日本語版、各地や島々が各国の領土とされた年月も記されているなど非常に詳細である。当時の各国国旗もある。橋本澄月の識語あり。
古地 2-1 海外漂流年代記 前編 / 芥子屋重兵衛著 嘉永7年
[1854]
崇神天皇(10代)より土御門天皇(83代)に至る唐、三韓、任那、琉球、南蛮、蝦夷等との往来関係を編年的に記述した。前編のみ所蔵
古地 2-2 異国往来並漂流年表二編 嘉永7年
[1854]
文永・弘安の役から嘉永7年のペリー再来航までの異国人や異国船の到来を記した年表
古地 3 改正横浜案内絵図 / 五葉舎萬寿老人画 明治3年
[1870]
著者の五葉舎萬寿老人の本名は尾崎富五郎。彼の絵地図は、市街を切絵図ふうに表現し、野毛等を絵図的に画くところに特色があります。
古地 4 改正道中案見図 : 大日本 / 松川半山雲昇子輯・画  天保10年
[1839]
松川半山、父は大坂の狂歌作者鬼粒亭力丸。文政十二年菅松峯に入門した。名所図会、案内記、絵図類で風景画を画いて名声を得た。画風は考証的・写実的で精緻である。明治以後は啓蒙書、商業往来物で新時代に対応した。また文部省編「博物図教授法」では注解と挿図を描き、教科書作成にも参加した。
古地 5 交通貿易全球航海線路図 / 松本安蔵編 明治25年
[1892]
本校の第一期の卒業生、松本安蔵(のち、商船学校教授)が著した世界航路、港間の距離運賃などを示した地図。
古地 6 大日本沿海略図 慶応3年
[1867]
幕末に流行した翻訳日本図の代表的なもののひとつ。海舟の序文には、昨今航海術が発達して航行が頻繁になったので、英国出版の地図が非常に精緻なのを家塾で刻して以って航行の便りとするとある。この英国地図とは1863年刊『日本と朝鮮近傍の沿海図』であり、文久1年(1861)英国軍艦が日本沿海を測量しようとしたときに中止させるため幕府が与えた伊能小図をもととしている。南が上となっている。勝海舟の識語あり。
古地 7 蝦夷国全圖 / 林子平図 [書写年
不明]
書写地図5葉は林子平が「海国兵談」と共に刊行した「三国通覧図説」中の地図全てである。「海国兵談」と「三国通覧図説」は寛政4(1792)年に発禁処分を受けた。このため、書写本が多い。蝦夷の図は当時流布している地図を集め考定したが、その当時最上徳内等の探検により、従来の蝦夷図の概念を一変せしめたため、使用に耐えないものとなった。また、無人島図(展示番号10)は無人島開拓を唱えたためと言われる。なお「三国通覧図説」は天明5(1785)年成稿し、翌6年刊行している。
古地 8 朝鮮八道之圖 / 林子平図 [書写年
不明]
古地 9 琉球三省并三十六嶋之圖 / 林子平図 [書写年
不明]
古地 10 無人嶋大小八十余山之圖 : 本名小笠原嶋ト云 / 林子平図 [書写年
不明]
古地 11 朝鮮、琉球、蝦夷、并ニカラフト、カムサスカ、ラツコ嶋、等数国接壤ノ形勢ヲ見ル為ノ小圖 / 林子平図 [書写年
不明]
古地 12 旅順港地図 明治37年
[1904] 
日露戦争時、山本権兵衛は桂太郎内閣の海軍大臣として海軍の作戦全般にわたって中心となって画策した。本学所蔵の地図2葉は山本権兵衛が作戦計画立案状況説明の際使用したと伝えられるが確証はない。
古地 13 黄海及遼東半島海湾 明治37年
[1904] 
古地 14 南瞻部州萬国掌菓之図(ナンセンブシュウ バンコク ショウカ ノ ズ) / 浪華子製図 宝永7年
[1710]
仏教世界の中心の須彌山よりはるか南方海中に人の住む大陸があり、これを南瞻部州といい、掌菓とははてしない世界を手の中の果物のように見ることができるという意です。南瞻部州図としては最初の、かつ最も詳細な図として広く流布した。作者浪華子は華厳寺の開祖鳳潭(ほうたん)の筆名と言われている。
古地 15 萬国航海図 / スネル校正 ; 武田簡吾[ほか訳] 安政5年
[1858]
Edward Schnell オランダ人。貿易商人。横浜居留地で開港直後から貿易商を営み、『万国航海図』を発行。1867年(慶応3年)駐日スイス領事館の書記官を勤める。1868年(慶応4年)の戊辰戦争の際は、オランダ領事を自称し、新潟で兄ヘンリーと列藩同盟軍の武器・弾薬購入に奔走。1872年(明治5年)、オランダ国弁理公使を通じ新政府に、新潟で受けた損害賠償5万6000余円を請求。翌年旧会津・米沢両藩の債務分4万ドルが支払われた。同年帰国、1874年(明治7年)再来日。
古地 16 新刻日本輿地路程全図 / 長玄珠子玉父製 安永7年
[1778]原刻
長久保赤水、名は守道、のちの玄珠(はるかた)、字は子玉、通称源兵衛、赤水はその号。(凡例記載の長玄珠子玉父ついて、姓は長久保の長を、父は老叟の称ではないかと推定される。)朱子学・漢詩文・天文・地理学などの研鑽を積み、安永4年完成した『改正日本輿地路程全図』は、緯線と方角線を引画した最初の日本地図として一時代を画した。『改正地球万国全図』『大清国広輿図』など多くの地図や地理書、農政書『芻蕘(すうじょう)談』ほかの著作がある。