岡村文庫

目録
Catalogue of the phycological bibliography in the Library of the Imperial Fisheries Institute / 東道太郎編
東京 : 故岡村金太郎先生記念事業會 , 1938
188p ; 26cm

岡 村文庫仮目録
岡村文庫仮目録は図書館貴重書庫にある岡村文庫の資料のみを記載しています。藻類学研究室所蔵の資料は記載していません。
また、Catalogue of the phycological bibliography in the Library of the Imperial Fisheries Instituteは、岡村文庫の藻類学関係資料を
記載しています。それ以外の資料は記載していません。仮目録は総ての資料を記載しました。
なお、前回の目録で藻類学研究室所蔵となっている資料の一部は図書館の岡村文庫に所蔵されています。

岡村文庫と岡村金太郎博士
日本の藻類学の鼻祖といわれ、水産講習所唯一の名誉教授であった岡村金太郎博士の所蔵資料(植物学・藻類学等の図書、雑誌、別刷)を
収蔵したもので、藻類学関係の文庫として著名である。
博士が1889(明治22)年に藻類学の研究を始めた時には、Harvey, J. Agardh, Martens, Tangeの図書等があるだけだったので、
内外の文献収集に大きな努力を払い、また、巨費も投じたと言われる。しかし、1923(大正12)年の関東大震災による水産講習所焼失のため、
研究室に置いてあった蔵書(一説には千冊以上)を失ってしまった。この時、博士は「なあに、斉藤実盛をまねて白髪を染めて出直すよ」と
江戸っ子らしく元気で語ったと言う話がある。幸、小石川雑司ヶ谷にあった自宅は火災を免れた。また、家族は火災の時、持って逃げる
資料が決まっていたそうである。現在の岡村文庫は自宅にあった資料と関東大震災以後の12年間に収集した資料から成り立っている。
1889(明治22)年、岡村博士は帝国大学理科大学を卒業して、藻類、特に海藻の研究を始めた。我国に於ける藻類学研究の始まりである。
水産伝習所教師を経て、金沢市第四高等中学校教授となるも、第四高等中学校当局と衝突し、憤然職をなげうったのが1896(明治29)年である。
1901(明治34)年、水産講習所講師となり、以後、教授、所長を経て、1931(昭和6)年、依願退職、水産講習所名誉教授となる。
1935(昭和10)年8月21日、逝去、「清風院理藻漁翁居士」なる戒名をもって、千駄ヶ谷の瑞円寺に埋葬される。
岡村博士は、「水講の大久保彦左衛門」と言われ、また、「海の岡村金太郎、陸の牧野富太郎」とも言われた世界的学者であった。
岡村博士は、欧米遊学の宿望を果す機を得なかったが、その研究は植物学雑誌に発表せられ、欧米諸学者の注意を惹き、学界に於いては
F. Boergesen, G. B. De Toni, C. Sauvageau, Fr. Schmitz, W. A. Setchell, H. Kylin, A. Weber van Bosse 等と意見を交換し、世界に於ける
諸大家と肩を並べ、その学究徒的位置を毫も汚さなかった。
ちなみに博士の孫、オペラ歌手の岡村喬生がドイツのキール市で歌っていた時、キール大学のゲスナー教授にオペラ歌手としてではなく、
「グレート・オカムラの孫」として招かれたというエピソードがある。
博士が研究を始めた時は、日本の藻類は僅々数十種が知られていただけだった。岡村博士の遺著「日本海藻誌」には1006種の海藻が
掲載されている。これらの海藻は大部分博士により調査研究されたものに外ならず、しかも、博士の創設に係る新属は10、新種は180余種
に達している。また、研究論文は、200篇以上に達している。主な著書は、日本藻類名彙、海藻学汎論、日本海藻属名検索表、日本海藻図説、
藻類系統学、日本海藻誌、日本藻類圖譜、等がある。
また、海苔養殖技術についても優れた調査研究を行い、海苔漁民と水試職員を熱心に指導した。特に移植に就いての実施指導はよく知られている。
博士の授業は、田岡嶺雲の數奇傳によれば、「海藻の講義をした若い理学士(或は未だ學生だったかも知れぬ)は眉の迫った細面の人で、
生徒が質問すると、五月蠅といはぬ許りに君等には譯らんと一喝してズンズン講義を進めた者だ。」とある。これは後年も変わらず、
学生にはノートの取り難いものであったらしい。また、松原喜代松博士によれば、試験問題はとても難しく、岡村博士が平素考えこんでおられる
ような専門的な内容のものが多かった。学生の手におえない問題がでたが、一応説明の筋が通っていれば欠点をもらう心配はなかった。
博士は、苦学して大学を出たので、自分と同じ境遇にある真面目な若い人に、月々五円を無償であげて助けていた。
博士は専門以外に色々な趣味を持って居られた。往来物の収集は有名であるが、その他、長唄、スケッチ、旅行に際しては古事を尋ねる
ことを好み、それに就いての文章を残された。
岡村博士が1890-1935年に採集した標本は全て北海道大学理学研究科植物標本庫(SAP)に岡村金太郎コレクションとして保管されている。
種のタイプ標本(151点)を始め、岡村博士の論文の基になったさく葉標本(総数30,000点)が含まれている。
また、岡村博士の描いた藻類図の原図が国立科学博物館に保存されており、国立科学博物館ホームページに「岡 村金太郎海藻画廊」として
公開されている。往来物の収集は、東京大学に岡村文庫として残されている。

文献
山田幸男 (1935) 故岡村金太郎先生略傳 植物学雑誌 49(587):814-825
山田幸男 (1936) 故岡村金太郎先生略傳 岡村金太郎著、日本海藻誌 内田老鶴圃:1-11
日本植物学会百年史編集委員会編 日本の植物学百年の歩み 日本植物学会 1982
在京親族有志編 岡村金太郎博士五拾周年回想録 岡村家親族一同 1985


岡村文庫収蔵冊数
和書
34冊
洋書
263冊
別刷       (藻類学別刷)
2,821篇, 224冊
(1,855篇, 165冊)
和雑誌
24種, 80冊
洋雑誌
18種, 52冊
総計
653冊