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高の島実験場日誌・高の島等に関する解説

第一
 日誌は第12回生(明治42年)−第25回生(大正11年)が収録されている。第20-21回生(大正6−7年)は記録が抜けている。
 p.123に「此実験所開所以来、今日ニ到ル迠此島ニ起ル処記事ヲ記して今将ニ巻末ニ到リ帳ヲ換ヘントス。」とあるので、二冊を一冊に合冊した日誌と思 われる。
 なお、高の島実験場における学生生活をしのばせるものとして以下の資料がある。

・浅野昇一 (1923) 漫画水産生活 (発行者水産講習所内製造科3年代表者清水亘)
・楽水会編 (1972) 楽水50年の歩み (楽水会) p.179-193に「浅野昇一 (1923)漫画水産生活」の復刻版が収録されている。


第二
 稲並芳幸氏によれば、「この期間は、旧制中学卒業程度の入学試験が行われ、在学は3年間。」
 また、「この頃の各学年は9月から翌年8月までであった。23回生(大正9年)から4月から翌年3月になった。」とある。
 規則の変遷は下記の通りである。

水産講習所一覧による在学年と学年暦の変化
水産講習所一覧 規則・規程 条項 学年暦
明治31年4月−明治32年3月 水産講習所傳習生規程 第三條 講習科傳習期限ハ三箇年トシ・・・ 學年暦:自明治31年4月1日至明治32年3月31日
明治32年4月−明治33年3月 水産講習所傳習規則 第九條 學年ハ九月十一日ニ始マリ翌年七月十日ニ終ル   
明治36年7月−明治37年6月 水産講習所傳習規則 第九條 學年ハ七月十一日ニ始マリ翌年七月十日ニ終ル   
大正3年7月−大正4年6月 水産講習所傳習規則 第八條 學年ハ七月十一日ニ始マリ翌年七月十日ニ終ル   
大正4年7月−大正5年6月 水産講習所傳習規則 第八條 學年ハ四月一日ニ始マリ翌年三月三十一日ニ終ル   
大正10年 水産講習所傳習規則 第四條 修行年限ハ本科ニ在リテハ四年・・・   


第三
館山湾・高の島・沖の島

 千葉県館山市の西にある湾。北の大房岬(だいぶみさき)と南の洲崎(すのさき)の間にある。湾内が波静かで鏡面に似ているところから鏡ヶ浦とも言われ る。また、鏡の異名が菱花であるところから、菱花湾とも言う。
 なお、菱花湾の名称は一般的に使用されていない。

 南東隅には沖ノ島、高ノ島(鷹ノ島)の2つの小島があったが、関東大震災の際に土地が隆起したので、昭和の始め、海軍は高ノ島と陸地を埋め立て飛行場を 建設した。
 また、沖ノ島は隆起のため、潮流に変化が生じ、砂州で陸地と繋がり、陸繋島を形成している。

 吉田東伍の大日本地名辞書には、「鷹島、周回十町、面積四万坪、標高七米突、雑樹茂生す、弁天祠を置く。沖島は其西に在り、周回十町、稍低平なれど樹木 蓊鬱、一祠あり」とある。

 日本歴史地名大系 第12巻 千葉県の地名(平凡社, 1996)の柏崎浦の項に「当浦の北方海上に浮ぶ高の島(鷹ノ島)・沖の島は西風を防ぐ格好の波除場であり、とくに安房国元禄絵図(尊経閣文庫)に江戸迄 廿七里、小船カカリ東風悪シ、深四丈余」とみえる。高の島湊は大船の船掛り場として利用され、近世館山湾最大の港であった。・・・元禄地震では高の島まで 突き出していた船掛りの土手が崩れ、一方で海岸が隆起して「南北二町余東西七町余干潟砂浜ニ相成」という状況であった(文政十一年「湊普請願書写」旧沼区 有文書)。」とある。

 また、日本の島事典によれば、現在の沖の島の面積は0.045kuである。高の島も同様の面積であったと推定される。


第四
高島実験場職員

 高島実験場は明治42(1909)年4月30日に開場した。昭和に入り、海軍飛行場建設のため立ち退くことになり、昭和5(1930)年移転することを 決定した。昭和7(1932)年3月に小湊実験場が竣工した。

 東京水産大学百年史によれば高島実験場職員は以下の通りである。
 明治42(1909)年の最初の実験場主任は柳直勝で、翌年から神谷尚志(7年間在勤)となった。
 次に原信(大正8(1919)年−大正9(1920)年3月)、海老名謙一(大正9(1920)年4月−大正12(1923)年4月)、田中華太郎(− 大正14(1925)年11月)、花田信次郎(大正14(1925)年−)が在勤した。

 初代の定夫は真汐幸次郎、大正10(1921)年から志村勝太である。観測船サジッタの機関士は金本菊香である。高の島実験場日誌p.98によれば、高 の島実験場番頭として、初代青木赴雄、柳直勝、長棟輝友、布目孜、川上宗治、野崎知之、神谷尚志の名が記されている。(大正2年10月12日)


第五
高島実験場への交通

(1)陸上交通
 大正7(1918)年、那古船形駅開業、大正8(1919)年安房北条駅開業までは、館山までは霊岸島から東京湾汽船を利用するのが普通だった。
 花田信次郎氏によれば、館山の海岸から高の島まで「ポンポンと煙の輪を空にはきだして船は」20分位かかったと記している。

 日誌によれば、大正7(1918)年の第22回生の帰京は「一行は陸路勝山迠行って汽車で帰ると、直接館山から汽船で帰るものとの二つに分れて居る」と ある。館山−安房勝山間の鉄道距離は15.1kmである。

 大正2(1913)年7月25日 野嶋崎灯台遠足があり、館山−千倉間の鉄道距離は10.7km、大正7(1918)年5月31日に白浜、布良の活洲見 学があり、館山−千倉間の鉄道距離は10.7kmである。

(2)鉄道
明治45(1912)年3月28日 木更津線 蘇我−姉ヶ崎間開業
大正6(1917)年8月1日 姉ヶ崎−安房勝山間延伸開業
大正7(1918)年8月10日 姉ヶ崎−那古船形間延伸開業
大正8(1919)年5月24日 姉ヶ崎−安房北条(現在の館山)間延伸開業
大正14(1925)年7月11日 姉ヶ崎−安房鴨川間延伸開業

(3)海上交通
 明治11(1878)年、石川島造船所工務部長稲木嘉助による通快丸参号(約六十噸の小汽船)の提供を受け、館山町の運送業者辰野安五郎名義により出願 し許可を得た。名称は安全社と言う。

 明治13(1880)年、正木貞藏は保存丸を購入して航海を開始した。世人之を北條汽船と称す。営業すること七八ヶ月にして事故を生じ、休航した。東京 安房間の海上交通は安全社の独占する所となり、専横を極めた。

 明治14(1881)年、正木貞藏は安房汽船会社を創立し、三隻にて毎日往復した。このため、運賃引下げ競争が起こり、両社共疲弊し、安全社は汽船を内 国通運会社に売却し、安房汽船会社は解散した。

 明治20(1887)年、第二回安房汽船会社が創立され、四隻の汽船による運航が計画された。内国通運会社との競争は依然激烈のため、両社とも合同営業 を希望した。

 明治22(1889)年11月15日、東京平野汽船組合、第二房州汽船、三浦汽船、内国通運など分立競争の激しかった東京湾内航路の小汽船会社を合併し て設立、社名は東京湾汽船、公称資本金50万円、翌年株式会社となった。当初は東京と三崎、館山、勝浦などの東京湾岸の航路を経営したが、明治41 (1908)年3月東京と三宅島、八丈島、青ヶ島間に定期航路を開設し、東京府命令航路に指定された。
 また、東京−下田間、大島経由伊東間や伊豆半島(下田−沼津間)に定期航路を開設し、事業の主軸を伊豆半島、伊豆諸島に移していった。

 昭和17(1942)年8月に東海汽船と改称した。


第六
高の島実験場以前の事

 岡村博士の「白浜の納屋研究所」については大場俊雄氏の「千葉県安房郡白浜村における水産講習所の海洋生物実習について(1)-(3)」に詳しい。ここ では当時の雰囲気が出ている「妹尾秀實(1950) 越中島三十年の回想 二 楽水 昭和25年6-9月号:5-10」より一部引用した。

「高の島實驗所の出来る迄の養殖科の臨海實驗は、安房郡白濱の海岸にあった高木修氏の網小屋を借りて施行し、そこで顕微鏡實驗をしたのを思い出す。毎年五 月に白濱沖で、七目網とてんてん釣りで澤山漁獲されるヒラメを材料として、海魚卵の人工孵化實習を行ったものである。網小屋の周圍は青草の芝地で、放し飼 いの房州牛が鳴いて居り、沿岸の波間には多數の元氣一杯の海女が口笛を吹いて鮑やテングサを採集して居る光景は、誠にのどかなものであった。その當時はま だ房州には一哩の鐵路もなく、靈岸島から館山まで東京灣汽船で行き、それから円太郎馬車か又は徒歩で白濱へ往復したものであった。眞に隔世の思いであ る。」


第七
高の島実験場研究業績

・神谷尚志 (1916) 館山湾ニ於ケル浮性魚卵並ニ其稚児 水産講習所試験報告 11(5):1-92, 5 pl.
・岡村金太郎・妹尾秀實・原信 (1918) 水産講習所高島実験場蕃殖保護試験成績第壱次報告 水産講習所試験報告 14(2):1-6, 1 pl.
・岡村金太郎・妹尾秀實・原信 (1920) 水産講習所高島実験場蕃殖保護試験成績第貮次報告(鮑ノ成長度ニ就テ) 水産講習所試験報告 15(4):83-96, 1 pl.
・妹尾秀實・長棟暉友 (1922) 館山湾調査報告 一 館山湾ノ形態並ニ深度、底質、岩礁ノ調査(明治四十二年ヨリ明治四十四年ニ至) 水産講習所試験報告 18(2):3-12
・神谷尚志 (1922) 館山湾調査報告 二 館山湾ニ於ケル海洋並ニ気象ノ観測(明治四十四年・大正元年以降大正五年ニ至ル五ヶ年) 水産講習所試験報告 18(2):13-72
・神谷尚志 (1922) 館山湾ニ於ケル浮性魚卵並ニ其稚仔 第二報 水産講習所試験報告 18(3):1-22, 3 pl.
・神谷尚志 (1925) 館山湾ニ於ケル浮性魚卵並ニ其稚仔(第三報) 水産講習所試験報告 21(3):71-85, 1 pl.
・妹尾秀實・海老名謙一・岡田卓雄 (1926) 「ブダヒ」卵ノ孵化ト温度及比重トノ関係 水産講習所試験報告 21(4):141-148


第八
水産講習所高島実験場蕃殖保護試験成績品献上のこと

 大正10(1921)年9月2日、皇太子殿下(後、昭和天皇)が御外遊からの帰航時、御召艦香取、供奉艦鹿島は館山湾に入港し、御假泊された。
山本農商務大臣よりの献上品として、高島実験場蕃殖保護試験成績品(鮑百個伊勢鰕百五十尾)を皇太子殿下に献上した。
水産講習所技師妹尾秀實は命を受け、青籠二個に納めて御召艦へ持参した。御召艦香取までは漁撈科の新造船十二号艇で長棟技手が船長で
海老名助手と養殖科第二学年生徒が同乗して行った。妹尾秀實は御召艦香取の船上で皇太子殿下に献上品の説明を行い、御下問にも答えた。


第九
日本の臨海実験所
昭和20(1945)年まで

名称 開設 開設時の所属(現在名)
三崎臨海実験所 明治19(1886)年12月 東京大学
忍路臨海実験所 明治41(1908)年1月 東北大学(現在は北海道大学)
高島実験場 明治42(1909)年4月 東京海洋大学
津屋崎臨海実験所 大正3(1914)年9月 九州大学
瀬戸臨海実験所 大正11(1922)年7月 京都大学
座賀島臨海実験所 大正11(1922)年頃 大阪大学
浅虫臨海実験所 大正13(1924)年7月 東北大学
天草臨海実験所 昭和3(1928)年4月 九州大学
厚岸臨海実験所 昭和6(1931)年9月 北海道大学
小湊実験場 昭和7(1932)年3月 東京海洋大学(現在は千葉大学)
向島臨海実験所 昭和8(1933)年3月 広島大学
室蘭海藻研究所 昭和8(1933)年4月 北海道大学
下田臨海実験所 昭和8(1933)年6月 筑波大学
農学部附属水産実験所(新舞子)
昭和11(1936)年7月 東京大学
農学部附属水産実験所(伊川津) 昭和12(1933)年 東京大学
菅島臨海実験所 昭和14(1939)年12月 名古屋大学
水産実験所 昭和19(1944)年8月 九州大学


第十
館山市

明治10(1877)年3月 安房郡館山地区の三町一村二浦は真倉村より分離して館山町誕生
明治22(1889)年4月1日 町村合併により長尾村、豊房村、神戸村、富崎村、西岬村、豊津村、北條町、館野村、九重村、稲都村、凪原 村(後に那古町と改称)、船形町が誕生した。
昭和8(1933)年4月18日 館山町と北条町が合併して館山北条町誕生。
昭和14(1939)年11月3日 館山北条町、那古町、船形町の三町が合併して館山市誕生。



参考文献

・千葉縣安房郡教育會 (1926) 千葉縣安房郡誌 千葉縣安房郡教育會
・花田信次郎 (1977) 高嶋実験場の生活 楽水 (700):187-190
・平凡社地方資料センター (1996) 日本歴史地名大系 第12巻 千葉県の地名 平凡社
・稲並芳幸 (1980) 高の島実習学生日記 楽水 (710):74-77
・丸山雍成, 小風秀雅, 中村尚史編 (2003) 日本交通史辞典 吉川弘文館
・大場俊雄 (1981) 千葉県安房郡白浜村における水産講習所の海洋生物実習について (1)-(3) 楽水 (714):62-66, (715):115-117, (716):177-180
・菅田正昭編 (1995) 日本の島事典 三交社
・妹尾秀實 (1921) 水産講習所高島實驗場蕃殖保護試驗成績品献上に就きて 水産界 (469):517
・水産講習所一覧 明治31年4月−明治32年3月、明治32年4月−明治33年3月、明治36年7月−明治37年6月、大正3年7月−大正4年6月、大 正4年7月−大正5年6月、大正10年
・館山市史編纂委員会 (1981) 館山市史 国書刊行会
・東京水産大学百年史編集委員会編 (1989) 東京水産大学百年史 通史編 東京水産大学
・吉田東伍 (1970) 大日本地名辭書 増補版 第6巻 坂東 冨山房


高の島実験場関係文献

●楽水掲載記事(825号(2009)まで)
・海老名謙一 (1980) 高ノ島実験場跡を訪ねて 楽水 (709):23-24
・海老名謙一 (1980) 館山実習場の錦織あい子おばさん 楽水 (710):77
・藤森三郎 (1979) 発掘された高の島実験場創設当時の日誌 楽水 (707):134-143
・藤田正 (1981) 高の島実験場に関する2, 3の資料 楽水 (713):24-25
・花田信次郎 (1977) 高嶋実験場の生活 楽水 (700):187-190
・花田信次郎 (1981) 臨海実験場としての高の島 楽水 (715):118-119
・花田信次郎 (1984) 「海魚卵の発生と水温及び比重との関係について 附 適温装置器供覧」妹尾秀実 − が実現する迄 楽水 (727):181-183
・稲並芳幸 (1976) 夏の実習と丸川久俊先生 楽水 (695):174-177
・稲並芳幸 (1976) 北条・館山の町 楽水 (696):278-280
・稲並芳幸 (1979) 31回生当時の高の島実習 楽水 (708):229-232
・稲並芳幸 (1980) 高の島実習学生日記 楽水 (710):74-77
・稲並芳幸 (1988) 高の島の「オーシャン」 楽水 (743):164-166
・加藤喜八郎 (1979) 高の島実験場での思い出 楽水 (708):226-227
・川上雅之 (1981) 高の島で関東震災に会う 楽水 (714):71-73
・村上義威 (1977) 夢を追う日 -青春の日の記録-海洋調査実習の旅 大正12年5月19日−5月20日 楽水 (697):37-38
・村上義威 (1977) 夢を追う日 -青春の日の記録- (2) 海洋調査実習の旅 大正12年5月21日−5月23日 楽水 (698):94-95
・村上義威 (1977) 夢を追う日 -青春の日の記録- (3) 海洋調査実習、高島実験場 大正12年5月24日−5月25日 楽水 (700):186-187
・村上義威 (1978) 夢を追う日 -青春の日の記録- (4) 高島の実習生活 大正12年5月26日−5月27日 楽水 (701):42-44
・村上義威 (1978) 夢を追う日 -青春の日の記録- (5) 生物学実習・高島実験場 大正12年5月28日 楽水 (702):93-94
・村上義威 (1978) 夢を追う日 -青春の日の記録- (6) 生物学実習・高島実験場 大正12年5月29日−6月4日 楽水 (703):191-194
・大場俊雄 (1980) 高島実験場で働いた海女 楽水 (712):215-220
・大場俊雄 (1981) 千葉県安房郡白浜村における水産講習所の海洋生物実習について (1)-(3) 楽水 (714):62-66, (715):115-117, (716):177-180
・妹尾次郎 (1989) 高島実験場に遊ぶ(付、館山記) 楽水 (746):53-55
・吉田裕 (1979) 高の島実習の思い出 楽水 (708):227-229

●その他の資料
高の島実験場回想録(楽水会, 1982) 楽水に掲載された記事を収録した資料で藤森三郎氏の序がある。記事は以下の通り(掲載順)。

・藤森三郎 (1979) 発掘された高の島実験場創設当時の日誌 楽水 (707):134-143
・稲並芳幸 (1980) 高の島実習学生日記 楽水 (710):74-77
・加藤喜八郎 (1979) 高の島実験場での思い出 楽水 (708):226-227
・吉田裕 (1979) 高の島実習の思い出 楽水 (708):227-229
・花田信次郎 (1981) 臨海実験場としての高の島 楽水 (715):118-119
・川上雅之 (1981) 高の島で関東震災に会う 楽水 (714):71-73
・大場俊雄 (1980) 高島実験場で働いた海女 楽水 (712):215-220
・海老名謙一 (1980) 館山実習場の錦織あい子おばさん 楽水 (710):77
・海老名謙一 (1980) 高ノ島実験場跡を訪ねて 楽水 (709):23-24
・大場俊雄 (1981) 千葉県安房郡白浜村における水産講習所の海洋生物実習について (1) 楽水 (714):62-66
・大場俊雄 (1981) 千葉県安房郡白浜村における水産講習所の海洋生物実習について (2) 楽水 (715):115-117
・大場俊雄 (1981) 千葉県安房郡白浜村における水産講習所の海洋生物実習について (3) 楽水 (716):177-180
・藤田正 (1981) 高の島実験場に関する2, 3の資料 楽水 (713):24-25

・浅野昇一 (1923) 漫画水産生活 (発行者水産講習所内製造科3年代表者清水亘)

・水産講習所一覧に高の島の図(実験場も含む)あり。

・高の島・沖の島及び高の島実験場の絵葉書(戦前)あり。