雲鷹丸について

 明治40(1907)年9月、韓国慶尚北道迎日湾にて難破した快鷹丸の代船として計画された二代目練習船。
 鋼製二層重甲板三本マスト「バーク」型帆船で、三百馬力の補助機関付である。
 雲鷹丸は建造当時一世を風靡し、世界の海を駆け巡ったバーク型米国式捕鯨船を型どった船であるが、
 現在ではこの型の船型を留めるのは雲鷹丸ただ一隻となった。

 設計及び監督者は以下のとおりである。
所  属 氏  名 分  担
東京帝国大学工学博士 寺野清一 船体部設計及び監督
水産講習所技師工学士 岡田少三郎 船体部設計
東京帝国大学工学士 松田勉三 機関部設計及び監督
海事局技師工学士 城與三郎 監督
海事局技師工学士 永松文一 監督
水産講習所技手 黒田九萬男 大阪鉄工所に派遣、現場監督
水産講習所助手 上枝平五郎 大阪鉄工所に派遣、現場監督

 主要寸法は以下のとおりである。
長さ 百三十六尺二寸
二十八尺六寸
深さ 十六尺七寸半
平均喫水  十二尺
総屯数 四百四十八屯二五
登簿屯数 二百七十七屯九一
補助機関実馬力 三百○三
平均速力 八浬半



明治41(1908)年4月、設計終了。明治41(1908)年5月、大阪鉄工所に発注。
明治42(1909)年2月21日、大阪鉄工所櫻島造船所にて雲鷹丸進水式及び命名式が挙行された。

 大浦農商務大臣(堀秘書官代)が「雲鷹丸」と命名した。
 (船名の出所、「陸亀蒙詩、截海上雲鷹横空下霜鶻」(海を截って雲鷹上り、空を横ぎって霜鶻下がる))
 松原水産講習所長が進水台の縄索を断ち、進水した。

 水産講習所一覧 自明治四十二年七月至明治四十三年六月の「実習船雲鷹丸」の項より
 本船は鋼製二層重甲板三檣「パーク」型帆船ニシテ船尾樓及船首樓ヲ有シ三聯成表面冷汽機ノ補助汽関ヲ備フ。
 船尾樓ハ士官室、及士官會食室及配膳室ヨリ成リ船尾突出部ニハ腰掛及図書箱ヲ設ケ學生室ハ第二甲板上汽罐室
 圍壁ノ両側ニ在リ。四室四十人ヲ容ルヘク其前部ニ學生會食兼読書室アリ。
 船首樓内ニハ蒸汽揚錨機ヲ備ヘ其両舷ニ水夫長室、學生及水火夫ノ浴室便所、冷藏機室等アリ。第二甲板船首部
 ノ支水隔壁ノ後部ハ水火夫室ニシテ二十二人ヲ容ルベシ。
 機関室ニハ三聯成表面冷汽機一台ト長九尺六寸径十尺ノ主汽罐一個及「ドンキー」汽罐一個ヲ備ヘ主汽罐休止中
 煖房其他甲板上諸機械ノ運轉用ニ供シ別ニ諸室及ビ艙内其他ノ燈火用トシテ發電機一台ヲ備フ。又汽機室内ニハ
 五噸蒸發機及三百「ガロン」蒸溜器ヲ備ヘテ海水ヨリ所用ノ淡水ヲ製スルノ用ニ供セリ。
 汽罐室ノ前部及内側ハ石炭庫ニシテ其容量約百噸ナリ。汽機室上部ニ蒸汽操舵機アリテ「フライングヴリッヂ」上ニ
 於テ操舵スルヲ得。
 冷藏機ハ「アンモニヤ」式ニシテ動力ニハ石油發動機ヲ用ユ。冷藏室ハ船首艙内前檣ノ所ニアリ。内容積約六百立方尺
 ニシテ防熱装置ヲ施セリ。
 船艙ハ機関室前部ニアリテ其一部ハ漁獲物ヨリ採取セル油約二十二噸ヲ貯フヘキ鐡製「タンク」四個ヲ備フ。
 上甲板前檣後部ニ鐡製二重釜及銅製冷却槽ヲ設ケテ鯨油採取ノ用ニ供シ舷外ニハ長二十八尺ノ捕鯨艇及長三十二尺
 ノ巾着網用漁艇六隻ヲ懸吊シ第二甲板上ニハ漁具一切ヲ格納スヘキ艙庫ヲ有ス。

雲鷹丸の船長は、初代浅利孝爾、2代稲葉安四郎、3代山本静一である。


年月日 事項 参考文献
明治42(1909)年2月21日 大阪鉄工所櫻島造船所にて雲鷹丸進水式及び命名式が挙行された。 1
明治42(1909)年5月17日 雲鷹丸は東京品川沖に回航して来たので、水産講習所に関係ある朝野の名士を招待して観覧に供した。 2
明治42(1909)年5月30日 米国式捕鯨を目的とした初実習の為、教官其の他船員22名、第12回生の学生21名(新聞記者3名)を搭乗して午前8時品川を抜錨して金華山沖に向った。 2
明治43(1910)年7-8月 7月は金華山沖にて捕鯨実習。8月には千島近海にて抹香鯨2頭捕獲。 3, 19
明治43(1910)年12月6日 雲鷹丸第5次航海、快鷹丸遭難地を訪い、殉難諸氏の為に墓標を建てて其の霊を弔う。 19
明治45(1912)年3月-6月 雲鷹丸第7次航海において、川上宗治は東シナ海の北緯30度線上の10点、台湾北部等で海流ビンの投入を行い海流の推測を行った。 4
大正1(1912)年7月-10月 雲鷹丸第8次航海において、川上宗治は樺太(サハリン)近海で海流ビンの投入を行い海流の推測を行った。 4
大正1(1912)年7月18日 金華山沖で捕鯨実習中、捕鯨艇が転覆して学生2名が遭難した。この事故により捕鯨実習は翌年から中止された。 5
大正1(1912)年11月30日 雲鷹丸乗組遭難死亡者追悼式が水産講習所講堂にて行われた。 6
大正2(1913)年1月-3月 雲鷹丸第9次航海において、丸川久俊・川上宗治は標準海水を用いた硝酸銀滴定による塩分測定法を我が国で初めて導入した。また、キダイ、カナガシラの体長測定を行っ た。 4
大正2(1913)年6月8日 雲鷹丸第9次第2期航海、故快鷹丸遭難死者の墓地に参詣。 19
大正3(1914)年4月-5月 雲鷹丸第11次航海において、浅野彦太郎は伊豆大島から紀伊潮岬において500ヒロ(914m)までの各層観測データを用いて海流の推算を我が国で初めて行った。 4
大正3(1914)年6月頃 雲鷹丸はカムチャッカ西岸のキクチク沖合で教官鎌田武造指揮のもと、漁獲したタラバガニを船内にて蟹缶詰に製造した。本邦における船内における蟹缶詰製造の初めである。 7
大正3(1914)年9月-10月 雲鷹丸第13次航海で、浅野彦太郎は金華山沖32点の横断観測の各層観測データを用いて海流の推算を行った。 4
大正4(1915)年7月-10月 雲鷹丸第15次航海において、丸川久俊は日本海北部横断観測及び三陸沖において得られた海洋観測データを用いて海流の推算を行った。また、マダラとオヒョウの体長と鱗年輪との対応、餌生物、雌雄の割合と大小を調べ、更に海底水温・塩分とタラ漁場と密接な関係があることを明らかにした。 4
大正5(1916)年6月-10月 雲鷹丸第17次航海において、丸川久俊はオホーツク海及び三陸沖において得られた海洋観測データを用いて海流の推算を行った。また、オホーツク海のカムチャッカ西岸漁場のタラ、サケ・マス、カレイ類、タラバガニについて、海洋生物的調査を行い、更にサケ・マスの種類と漁獲割合、漁況の解析を行った。更にサハリン(樺太)のテルペニエ湾(多来加湾)においてニシンの流網試験を実施した。 4
大正6(1917)年5月-10月 雲鷹丸第19次航海において、丸川久俊はオホーツク海及び三陸沖において得られた海洋観測データを用いて海流の推算を行った。また、明治43(1910)年以降の雲鷹丸航海において夜間燐光が見られていたが、この原因はニシンなどの遊泳刺激を受けた動物プランクトンが発光したものであることを確定させた。 4
大正8(1919)年 雲鷹丸は船内缶詰製造設備として三馬力の電動機、ハンドシーマー、簡易エキゾーストボックス、竪型レトルト各一基を据え付けて沿海州沖合に出漁し、蟹缶詰20函を製造した。之が我が国に於いて船内に缶詰製造の設備をなして蟹缶詰を製造した最初である。 7
大正9(1920)年12月7日 帰航途中、土佐沖で運用実習作業中漁撈科第3学年生徒が帆檣から墜落して重傷を負い、翌8日午前1時10分逝去。 8
大正10(1921)年12月 雲鷹丸はホノルルに向けて館山を出帆した。始めの一週間は平穏であったが、次第に気圧下降して大暴風となった。一時は400噸の雲鷹丸は逆立ちせんばかりとなった。フオスルのシートを切断してようやく荒天を無事乗り切りホノルルに着いた。ボースン、鈴木茂三郎によれば「この時の時化が生涯の中で一番大きなものであった」とのことである。 9
大正12(1923)年9月1日 関東大震災で水産講習所校舎は灰燼に帰してしまった。雲鷹丸は月島三号地側に停泊していた。焼船が雲鷹丸の舷側に漂流してくるので全員で焼船をつきのけ、船上に降り注ぐ火の塊を消しながら市民五百余人を助け、雲鷹丸の類焼を防いだ。 10
大正15(1926)年 雲鷹丸は工船組合と連絡試験を行い、高山伊太郎が乗船してカムチャッカ東岸で蟹刺網漁業及び缶詰製造試験をなし、東カムチャッカ沖合漁場開発の端緒を開いた。 11
昭和3(1928)年 白鷹丸にバトンを渡し、現役を退き廃船となった。水産講習所一覧、昭和4年の雲鷹丸の項には、「昭和三年度ニ於テ當所構内ニ繋船シ陸上檣ノ代用トシテ學生ノ實習用ニ供セリ」とある。 12, 13
昭和7(1932)年 船内の一部を補修改装して操帆訓練船として再び活用されることとなった。操帆実習は戦時中まで続けられた。 14
昭和37(1962)年 東京水産大学七十周年記念事業の一環として、越中島から品川校舎に移設された。(ロアーマストのみを装置) 15
昭和45(1970)年4月16日 雲鷹丸復元の記念式典が行われた。昭和44(1969)年11月から復元整備事業に取り組み、昭和45(1970)年3月終了。 16, 17
平成10(1998)年10月16日 文化財保護審議会から雲鷹丸を国の登録有形文化財とするよう答申された。 18

参考文献
1   雲鷹丸進水式 大日本水産会報 318:42-43 (1909)
2   雲鷹丸の観覧招待 大日本水産会報 321:48-49 (1909)
3   雲鷹丸の消息 水産研究誌 5(8):218 (1910)
4   大塚一志 雲鷹丸(1909-1928)の漁業実習と調査航海について 東京海洋大学研究報告 6号 (2010)
5   水産講習所生徒の遭難 水産研究誌 7(8):257-258 (1912)
6   雲鷹丸乗組遭難死亡者追悼式 水産研究誌 8(1):2-4 (1913)
7   岡本正一編著 蟹罐詰發達史 第11章 母船式蟹漁業 第1節 概説 一 創始時代 p.611-613 霞ヶ関出版(1944)
8   雲鷹丸帰港 水産研究誌 16(1):32 (1921)
9   東京水産大学七十年史 第5編 付属施設 第2章 練習船 第4節 雲鷹丸 雲鷹丸のボースン p.236-238(1961)
10  震火災に殊勲を現した雲鷹丸 : 焼船の中に包まれながら五百餘人を救ふ 水産 11(18):22-23 (1923)
11 
岡本正一編著 蟹罐詰發達史 第11章 母船式蟹漁業 第1節 概説 二 勃興時代 p.613-616 霞ヶ関出版(1944)
12  雲鷹丸の廢船 水産界 553:680 (1928)
13  水産講習所一覧 昭和4年 雲鷹丸 p.54 (1929)
14  東京水産大学百年史 Y 歴代練習船 3 雲鷹丸 p.481-487 (1989)
15  石川好郎 母校構内の施設関係その後について 楽水 627:167-168 (1962)
16  雲鷹丸復元整備事業報告の件 楽水 665:96-97 (1970)
17  東京水産大学雲鷹丸復元整備竣工式開催 楽水 665:98-99 (1970)
18  高橋神奈男 文化財登録制度について 楽水 785:7-8 (1999)
19  雲鷹丸航海日誌翻刻 第4-13, 15, 27-31次