尾張者異國漂流物語

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書誌事項
尾張者異國漂流物語
[書写地不明] : [書写者不明] , [書写年不明]
[11]丁 ; 22.4×16.3cm
和漢古書につき記述対象資料毎に書誌レコード作成
書名は書き題簽による
写本
表紙裏に「此漂流談は「漂流奇談全集」の第六馬旦島と同一事実にて唯その記載の方式異り随て記事に出入あるに過ぎず、取て以て彼の記の幾分を補ふに足る 石井研堂識」とあり
印記: 「漂譚樓」 (石井研堂)

所蔵
東京海洋大学百周年記念資料館寄託資料 (東京海洋大学附属図書館越中島分館所蔵資料)
請求記号: 290.9/O93/B
資料番号: 2014505071

漂流事情
寛文8(1668)年11月、尾張国知多郡大野村の権田孫左衛門船(乗組員15人)が三河国の沖合で漂流し、12月にバタン島に漂着した。
土人に船を壊され、荷物等は掠奪された。乗組員は一人ずつ別々の家に引き取られ奴隷として使役された。
寛文9(1669)年3月頃、船頭治郎兵衛と楫取治右衛門は年寄りで働きが悪いため殺された。
バタン島では金属類が貴重なものであるため、漂流民達は一計を案じ、一旦日本に帰国して金属類を持って来て交易したいので船を作らせてくれと言った。
船を作る許可がでた。寛文9(1669)年10月頃、斧を借り受けて約半年がかりで船を作った。木釘を使い藤でからげただけの船ができた。
作業中、長吉は事故で死亡した。また、五郎蔵はこんな船で日本に帰国できないと言い、土地の女を女房にして帰国の意志を失ってしまった。
寛文10(1670)年4月15日、残り11人が日本へ帰る船出をした。4月24日、清国の宝登山に着いた。5月 21日、宝登山を出発して、6月5日、遂に九州五島に着いた。
長崎奉行の尋問等を受けて、9月19日、ようやく尾張国に着くことができた。なお、バタン島とは現在の台湾とフィリピンとの間の海峡にある小島である。