亜墨漂客談

  


書誌事項
亜墨漂客談 2巻
[書写地不明] : [書写者不明] , [書写年不明]
2帖 ; 25.8×18.4cm
和漢古書につき記述対象資料毎に書誌レコード作成
表紙の書名: 紀州天寿丸亜墨漂流談
序末に「嘉永壬子秋八月 瀬東水誌」とあり
丁数: 上:[34]丁、下:[31]丁
印記: 「中山文庫」

所蔵
東京海洋大学百周年記念資料館寄託資料 (東京海洋大学附属図書館越中島分館所蔵資料)
請求記号: 290.9/A 5/1B.290.9/A 5/2B
資料番号: 50000111595,50000111596

漂流事情
嘉永3[1850]年1月9日、紀伊国日高郡の和泉屋庄右衛門船、天寿丸(乗組員13人)が江戸から上方へ航行中に伊豆沖で漂流した。
3月13日にアメリカ捕鯨船ヘンリー・ニーランド号に救助される。
乗組員13人のうち、6人(長助、辰蔵、太郎兵衛、清兵衛、与吉、半六)はロシア捕鯨船マレンゴ号に移された。
残された7人(虎吉、菊次郎、市蔵、吉三郎、佐蔵、新吉、浅吉)のうち、2人(新吉、浅吉)が捕鯨船ニムロッド号に移された。
ヘンリー・ニーランド号がホノルルに入港すると、間もなくニムロッド号の2人もホノルルに入港した。
5人は9月に天保12(1841)年に漂流した土佐の漁民万次郎ら4人に会った。
11月にアメリカ船コッヘシ号でホノルルを出航し、嘉永4[1851]年2月に香港へ入港した。3月に天保6(1835)年に漂流した肥後の庄蔵に会った。
6月に天保3(1832)年に漂流した尾張の宝順丸の音吉に会った。
5人(虎吉、菊次郎、市蔵、吉三郎、佐蔵)は清国船で11月11日に乍浦を出帆し、11月28日に長崎へ入港した。
また、マレンゴ号に移された6人はペテロパウロフスクやアヤンを経てシトカに送られた(途中で新吉と浅吉が合流)が、1人(半六)が病死した。
嘉永5[1852]年6月24日、7人(長助、辰蔵、浅吉、太郎兵衛、清兵衛、与吉、新吉)はメンシコフ号で伊豆下田に入港したが、
韮山代官江川太郎左衛門が7人を受け取らなかったので、7人は6月29日に二隻の小舟で伊豆中木浦に漕ぎ着けた。
下田を経て江戸へ護送され、嘉永6[1853]年1月に故郷へ帰った。