漂巽記略 4巻 / 川田維鶴撰||ヒョウソンキ リャク

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書誌事項
漂巽紀畧 4巻 / 川田維鶴撰||ヒョウソンキ リャク
[書写地不明] : [書写者不明] , [書写年不明]
[52]丁 ; 24.0×16.6cm
和漢古書につき記述対象資料毎に書誌レコード作成
写本
4巻1冊
挿絵は「無人島東面之圖」のみあり

所蔵
東京海洋大学百周年記念資料館寄託資料 (東京海洋大学附属図書館越中島分館所蔵資料)
請求記号: 290.9/Ka92/B
資料番号: 2014504504

解説
天保12(1841)年正月5日西浜の伝藏ら4人と近海の漁に出て暴風のため太平洋を漂流、13日鳥島に漂着、半年後、アメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号に救われ、ハワイで4人と別れ、船長ホイットフィールドと東海岸ニュー・ベッドフォードに上陸、フェアヘイブンで小学教育を終了した。
ハワイに戻り、伝藏親子と帰国準備をし、嘉永4(1851)年正月琉球摩文仁間切に上陸、8月鹿児島に送られ、9月長崎で尋問を受け、嘉永5(1852)年6月土佐藩に引き渡され、10月中ノ浜に帰った。

河田小竜、川田維鶴とも称す。文政7(1824)年10月25日、土生玉助の長男として生まれた。祖父の生家河田氏を嗣ぐ。島本蘭渓に絵を、岡本寧浦に漢学を学んだ。
のち、京都・大坂に行き、狩野水岳に狩野派の絵を、篠崎小竹・中林竹洞に書を修めた。明治1(1868)年、藩士に列せられ、のちに県庁に勤めた。
明治12(1879)年、画業に専念した。明治31(1898)年12月19日没

小竜は長崎で勉学したこともあり、外国事情に明るかった。その点を買われ、藩庁での万次郎等の取り調べの補佐役を務めた。
小竜は万次郎を自宅に寄食させ、日本語の読み書きを教え、逆に万次郎からは英語を習った。
その時、万次郎から、別個の聞書をとり、藩主に献上したのが漂巽記略である。多数の挿図があるそうであるが、本写本には図が1枚あるのみである。